第四章 暗中交錯 G


「何故現行の政府のあり方で納得しようとする? どうしてそんな無気力でいられる!」
「無気力じゃねえ! 俺たちは俺たちで自分のできる範囲でやってるだけだ!」
「その自分さえよければという考え方がこの国を日和見にさせている事に何故気がつかな
い? 悪政を放置し続けている事に何故気がつかない」
 水掛け論だ。根本的に俺と犬養じゃ見ているものが違いすぎる。でもな、俺だってなん
も考えてねえわけじゃねえんだ。これだけは言っておかなきゃ気がすまない。
「金持ちが幸せ一人占めしてるなんて、思ってんじゃねえよ」
 瞠目した犬養はなんのことかわからないと、すぐに目を眇める。
「ブルジョアジーが幸せだと? バカじゃねえのか? 金があるやつらが幸せだ? ふざ
けんなよ。金があってもそいつらにはそいつらの苦しみがあるんだよ!」
 月明かりの下で目を細めて笑う君子の姿が甦る。金があるからって幸せなんてそんなの
貧乏人のひがみだ。経済状況が違ったってそれぞれに悩むし、苦しむし、でも笑うんだ。
 抵抗の余地がない犬養は苦々しく口元を曲げながら荒く呼吸を繰り返す。飛び交う銃弾
に身を潜め、犬養を取り押さえる事で全神経を使っていたせいで、外部の気配に気を配る
余裕がなかった俺は
「!」
 急に目の前を照らす光に慄いた。それは幾度も幾度も瞬間的に光を発する。まるで……
いや、写真を撮っている時に焚かれるフラッシュの光以外のなにものでもない。
 俺がその方向に目を向けると、光が幾度も全体を照らしだす。
銃を構えていた自衛隊員たちの姿が露わになる。
「銃をしまえ! 引け!」
 焦りを含んだ単語の命令に事情を飲み込めていない隊員たちが狼狽しながらも、命令に
従うように構えた銃器を取り下げ後退していく。明滅する光にコマ送りのように繰り出さ
れるのは、大慌てで引き上げて行く自衛隊員たちだった。
「…………」
 その様子に気を取られていたせいで、俺の中に油断が生まれ身体を弛緩させてしまって
いた。その僅かな緩みを犬養が見逃すはずもなく
「あがっ!」
 捻り上げていた手を返され、体勢が逆転する。
 犬養は地面に俺を抑えつけると容赦なくギリギリと関節を固める。千切れるような痛み
に目の前がチカチカとした。声もあげられない俺の頭の上に犬養の言葉が降ってくる。
「おまえのような奴が世界をだめにするんだ」
 怨念のこもった言い草に、そりゃ逆恨みだと思ったが痛みに耐えるのが精いっぱいで言
い返すことなんてできやしない。
「大局を見ようともせず、その場の快楽にだけ身を寄せ、本当の自由の意味すらわかって
いないお前のようなやつらがこの世界をだめにしているんだ!」
「いぎぎぃい」
 痛みを噛み殺そうと歯を食いしばるが、到底我慢できるようなものではい。俺は顔を真
っ赤にしながら血管が切れちまいそうなほどに力む。このまま意識が飛んじまったほうが
楽に違いない。違いないが、それだけはできない。
「そこまでです」
 だれだ?
知らない人間の声がしたとたんに犬養の締めあげる手の力が緩む。俺は声の先を見るとそ
こには松岡さんと垣崎さん、それから自衛隊の隊服に身を包んだ男が立っていた。二人と
も生きてたんだ………。
 安堵しながらも、疑問が浮かぶ。どうしてこの二人と一緒に自衛隊がいるんだ。
「犬養幹比呂ですね。本部から連絡が入ってます。隊員を三人殺害したそうですね」
 自衛隊員は殺害という言葉を口にしながら、さしも何も感じていないかのように平坦な
もの言いで犬養に拳銃を突きつける。
「その子を離して下さい」
「うるさい」
 犬養は俺の襟首をつかむと強引に引っ張り上げて盾にするように三人の前につきだす。
「抵抗する気ですか?」
「抵抗する気なんてない。早くこの場から去りたいだけだ」
「ならその少年は関係ないでしょう」
 拳銃を構えた自衛隊員の平坦な言葉は威圧的で、それに圧されながらも犬養はのどの奥
を笑うように唸らせた。
「お前ら自衛隊に双葉は渡さない。双葉は私の革命と共にあるのだ」
「残念ながらそれは無理です。間もなくその少女は消えます」
 自衛隊員の言葉に俺だけでなくその場にいた者、すべてが驚いた。しかし自衛隊員は何
事もないかのように話を続ける。
「緑光石の力は無限ではありません。昭和19年の実験の資料が正しいのなら、この規模
の力の解放の後には緑光石は消滅します」
 文面を読み上げるように発せられた内容を俺は理解できなかった。どういう事だよ? 
意味がわかんねえよ……それって……ふたばが……。
「嘘をつけ!」
 犬養は叫ぶように咆哮し、受け入れられないと言うかのように目を見開く。
「嘘をついても仕方ありません。そのような結果例があると話しただけです」
「ふざけるな、消えるだと! 私の革命はどうなる! 大赤色革命軍の理想はどうなる!

「そんなことは知りません」
 冷たい反応に犬養は口元を戦慄かせ一歩、また一歩と後退しよろめくと足場の悪い木々
の根の上をふらふらと彷徨った。
 俄かに犬養の手が緩んだ。今しかない。
 俺は滑るように身体を反転させ、すぐさま腰を屈めながら犬養の手を振りほどく。犬養
は盾を失うまいとすぐに抑え込みに掛かるが、俺の方が一歩早かった。突き飛ばすように
押しこくると、ポケットから長方形の小箱を取り出す。賢三にもらった高圧電流装置だ。
 スイッチを入れると同時に犬養の身体にバリっという音を立てて電流が走る。俺はその
まま後退し犬養の束縛から解放される。
 そして息をのんでそのタイミング見計らっていた垣崎さんが犬養を取り押さえようと飛
び込む。
 しかし電流で痺れているはずの犬養はあたりが浅かったのか垣崎さんの追撃を紙一重で
かわし、俺の顔を睨みつけ、
「おまえのような奴が一番苦手だ」
 と言ったと同時に後ろへ飛んだ。
犬養はそのまま夜の闇の中へ消えた。
 俺は何が起こったのか分からず呆然としたが、犬養のいた場所に近づいてはじめてその
後ろが切り立った崖である事に気付き、そして犬養がその奈落の中へと落ちた事に気がつ
いた。
 不安をあおりたてる奈落のほの暗さに、背筋が冷やりとする。
「くそっ!」
 悔しさに顔を歪める垣崎さんは大きく舌打ちをする。
 その様子を見て我に返った俺は自分の腕が異常なまでに熱と痛みを発している事に気が
ついた。痛みに付随して先ほどの自衛隊員が言っていた事を思い出す。
「おい、双葉が消えるってどういう事だよ」
木田と呼ばれた男は冷たいガラス玉のような目で俺を見返しながら
「言ったとおりです。このような事態は過去の資料から予測されていました」
「過去の資料って?」
 なんのことかわからず聞き返すと
「それについては詮索しないでください。知らない方がいい情報もあります。そういった
資料があったという事実だけで受け入れていただければ結構です」
 そう言い放った言葉はやはり冷たい響きを持っている。
「それにしたって、木田の旦那。さっきの言葉は聞き捨てなりやせん。双葉のお譲さんが
消えちまうってのはどういう事でやすか?」
「自分が上から指示されている任務は緑光石の抹消、陸上自衛隊の手に渡ることの阻止で
す。しかし今言った通り、この事態は過去の資料から予測されていました。陸上自衛隊に
追い詰めさせ、力を解放させるという図式に導いたのは他でもない自分です」
 一呼吸を置いて俺の方を見る木田さんの顔は少し悲しげに映った。
「任務とはいえ、あなた方にとっては謝って済む問題ではないのでしょう。自分にできる
のは情報の開示のみです。これからあなたが取る行動を束縛するつもりはありません」
 木田さんはただ無感情な瞳を向けて俺を見た。
 双葉のところに行かなきゃならない。今すぐにでも……。
 そう思った時には俺は走り出していた。急勾配の木々の根を駆け上がっていた。それは
もう這いつくばって登っていたのかもしれない。すぐに、今すぐに双葉に会いたい。その
思いだけしか頭には浮かんでこなかった。
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