第四章 暗中交錯 F

 ****
 垣崎にとってそれは信じがたいことだった。
 ――あの手の男が自分たちに加勢するだと? ありえねえ。
 あの手の男と言うのは今、垣崎と松岡の前を先導して歩く自衛隊員木田正成である。顔
色一つ変えず言われた任務を訥々とこなしていく善悪の感情をもたないただ言われた通り
にするロボット。それが垣崎の印象だった。
 この手の人間に垣崎は思い当たる節がいくつもあった。公安部である。
 公安部は生え抜きのエリートか、警視庁幹部の二世が問題を起こさずにやり過ごす場と
して存在している側面があるものの、その中のエリート連中に関して言えばこの木田とい
う男とよく似ているところがあるのだ。
 何を考えているのかわからず、己の意思を絶対に表に出そうとしない。任務を遂行する
ためならばどんな手段をもってしても完遂しきる鬼よりも恐ろしい連中。
 それに……。
 垣崎には公安部とは別にもう一つ、思い当たる節があった。
 陸軍中野学校のやつらに似ていやがる。
 戦中に設立された秘密組織であった。スパイ活動を中心とした諜報部員たち。それらの
面々に木田という男はことごとくかぶった。
 年齢からすれば戦後二十五年たった今、木田正成が陸軍中野学校にいたことは考えづら
い。戦中の生まれではあろうが、終戦を迎えた時はまだ子供だったに違いない。
 まだこんな奴がいたのか。
 嫌な記憶がよみがえるようだった。
「わからないというような顔ですね」
 考えながら歩いていたところへ降ってきた声に垣崎はハッとする。
「僕の寝返りは信じられないようなことですか?」
 木田が足を止めてこっちを見ていた。その表情を読み取るのはやはり難しい。
「ああ、まだ騙されてるんじゃねえかと勘ぐっている」
 夜光も乏しい山中にありながら、木田のガラス玉のような目だけが浮き立つように光っ
ていて、隣の松岡は首をすくませる。本能なのだろう。
「僕は知りたいんです。あなた方のように論理的でない行動をとる人間の事を」
「おいおい、見くびんなよ。こちとら充分論理的に動いてらぁ」
「違います」
 何が違うというのだ? 垣崎にとっては充分に論理的な行動に他ならない。破壊活動に
繋がること、革命という名の暴力、戦争の引き金、それらのことはすべからく駆逐する。
ただそれだけである。
「信念と言うのでしょうか?」
「ああ?」
「自分にはそう言ったものがよくわからないのです。なにかのために必死になる。目的の
ために命を投げうつ。しかしその目的はあくまで上からの命令ではなく、自発的な衝動に
近いものです。それらと向き合っているあなた方が自分には理解しがたく、また興味深い

 大きくため息をついて垣崎は顔をしかめた。
「なんだ、てめえロボット野郎かと思ったら………」
「僕は人間です」
 その言葉には感情を読み取りずらい木田にしては珍しく、強い意志が見て取れた。
 だからだろうか垣崎はそこまでのバカにしたような口調は飲み込み向かい合う。
「だったら、見届けろ。俺らなんかより、あのガキども見てた方が、そういうのは勉強に
なるはずだ。あいつら衝動だけで動いてるような奴らだからよ」
 思った以上に素直に木田はコクリと頷く。
 やっぱりこういう手合いは苦手だ。
 垣崎が顔をしかめながら隣を見ると、松岡が笑いをこらえてるのが目に入って、腹がっ
たので一発殴る。
「なにするんですか!」
 不平の声を上げるが垣崎はそれを無視して山に目を向けた時だった。遠くから銃声が聞
こえてきたと同時に地響きが足元を伝う。
「な、なにごとでやしょう!」
 そんなこと知るか、と返そうと思ったが地震かと見紛うばかりの揺れに言葉を飲み込ん
でしまい、近くの木の枝を握ってバランスを取った。
「なるほど、文献にあった以上だ」
 体勢を低くしてバランスをとる木田の顔にも緊張が走る。松岡は四つん這いになりなが
らも、お譲が……と言いながら前進しようとする。
 しかし闇の向こうでは続けざまに幾発もの銃声が聞こえる。
「まずいですよ! お譲が……お譲……!」
 取り乱す松岡をどやしつけて落ち着かせながら、垣崎は木田に目をやる。
「どうする?」
「おそらくは、あなた方が言う双葉という子の力なのでしょう」
 垣崎は頷き返すと
「とにかく陸上自衛隊の発砲を止めましょう」
 木田は落ち着いた顔で揺れる大地を踏みしめる。
「おい、どうやって止めるんだよ?」
「わりと簡単です」
「簡単って言いやすけどね、あっちは軍隊ですよ。しかも発砲まで許可されていやすし…

「許可なんて降りていません」
「は?」
 松岡と垣崎の声が重なった。
「おい、てめえ、どういう事だ?」
「言ったとおりです。上は発砲の許可なんて出していません。すべてが極秘で動いていま
す」
「おい、ってえことは……」
「彼らにとって一番恐ろしいことは、この極秘計画が明るみに出ることです」
 そう言って木田が懐から取り出したのは、カメラに取り付けるフラッシュだった。
木々の成長は終息に向かっている。いや上の方では変わらず成長しているに違いない。俺
のいる場所が双葉からずいぶん離れてしまった、という事実が木々の根の成長を終息に向
かわせているにすぎないのだろう。
 耳をそばだてると、まだ頭上では雷雲が唸るような音が微かに聞こえる。
 俺は犬養の動きを封じて抑えつけているものの、いつそれが抵抗で放たれるかわからず
ヒヤヒヤとする。
 しかし当の犬養はもう抵抗をする気力をなくしたのか、がっくりとうなだれるように力
なくされるがままになっていた。
 出鼻をくじかれたわけではないが、だからと言って双葉をあれほどまでに欲していた犬
養がこんなにも簡単にあきらめるとは俺には到底思えなかった。だからか手を緩めず、君
子直伝の関節固めをきめて犬養の手を捻りあげながらも、手加減だけはしないように注意
を怠らないように気張っていた。
 遠くからはまだ銃声が聞こえる。
 太い木の根の影に隠れて、自衛隊から見えないように細心の注意を払う。
 嫌だろ、やっぱ死ぬのはさ。できることなら生きて双葉に会いたい。最後まで俺は諦め
るつもりなんてこれっぽちもなかった。
「おまえは……」
 虚ろな口調で犬養は地面を見ながら呟く。
「こんな世界でいいと思うか?」
「こんな世界?」
「人々が平等ではない世界。無益で不当な戦争が蔓延る世界。それに平気で加担する世界
。おまえはこのままでいいと思うか?」
 問われるままに俺は思考する。そんなのいいわけがない。うれしくとも何ともない。戦
争なんてもってのほかだ。だから俺はただ首を横に振る。
「このまま日本が上流階級のブルジョアジーだけが得をする社会を放っておけば、日本は
再び戦争をする国になってしまう。ただ上の者だけがその利益を得て、戦場に送りだされ
るのは末端の我々のような下層市民だけになる……わかるか」
「…………」
「変えなければならないんだ。今この日本を変えなければ、大東亜戦争と同じ道をたどる
ことになてしまう。国民から人権も自由も取り上げられた帝国主義に戻ってしまう。だか
らこそ人々には希望が必要なのだ。双葉のような希望が必要なのだ! 彼女がいれば人々
は皆彼女の元に集う。絶対的な力の元に集い、革命の鬨を上げられる。わかるだろう」
「わからねえよ」
「何故だ!」
「あんたの言ってるのは帝国主義とかわんねえじゃねえか」
「違う!」
 忌避する帝国主義と同等にされることを嫌悪するように犬養が強く否定する。
「人民から搾取する帝国主義とは違うのだ!」
「違わねえよ。みんな盲信させて操るなんて帝国主義の頃とかわんねえじゃねえか」
inserted by FC2 system