第四章 暗中交錯 D


突きつけられた銃口は真っ直ぐに俺に向いていた。
 俺は天を仰ぐ。
 双葉が右手を強く握る。
 君子が左腕の袖を軽くつまむ。
「ふん、あの時のガキか。傷はどうだ?」
「双葉のおかげでね。どこもいたくねぇよ」
「それは結構」
 力なく唇の端を持ち上げて犬養は笑うようなポーズをする。
 目はうつろなまま、あのアパートで会った時よりいくぶん老けこんだようにすら見える

「……双葉」
 彼の目は焦点を結ばないまま、顔だけは双葉の方を見る。
 双葉は怯えるように俺の後ろに隠れる。
 俺はそんな双葉を犬養から隠してやつを睨みつける。
「おい、こちらに双葉を寄こすんだ」
 犬養は……。
「さあ、早く。そいつがいれば……」
 まだあきらめていなかった。
「双葉がいれば、私たちの理想はかなうんだ」
 目の奥からなにかを渇望する渦が湧き出てくる。
 あの犬養に見る間に戻っていく。
 一歩、また一歩……ゆらりと揺れるように犬養がこちらに近づいてくる。
 俺たちは身じろぎもできず、犬養の陽炎のような姿に息をのむ。
「さあ、双葉。こっちへ来い。お前はこの世界の中で唯一無二のものなのだ。世界を変革
する力をもっているんだ。お前が俺と一緒にいれば、世界を変えることができるんだ。さ
あ、こっちへおいで」
 手を伸ばす。
 渇望と理想が渦巻く手のひらを差し出す。
 しかしそれは犬養の理想。
 万人の理想なんかじゃない。
「来るんじゃねえ!」
「邪魔をするな! お前たちは何もわかっていない」
 なにがわからないってんだ。
「おまえたちは今自分たちが如何に権力者たちに抑圧され搾取され続けているかを知らな
いのだ」
「………」
「人は自らが選んだものを得る権利がある」
 一歩踏みしめる。
「人は幸せになる権利がある」
 一歩踏みしめる。
「誰かのために働くのではない」
 一歩踏みしめる。
「皆が平等に食べ生活し生きるために働くのだ」
 一歩踏みしめる。
「たった一握りの人間が多くを手に入れてはならない。誰かが貧しさに震えてはならない

 一歩踏みしめる。
「皆で分かち合い、分け合い、足りぬ者には施し、窮した時には施される」
 一歩踏みしめる。
「長じた能力をもったものは大いにそれを発揮し、皆のためにその能力を使い……」
 一歩踏みしめる。
「皆はその恩恵を平等に手に入れる」
 一歩踏みしめる。
「この国すべての者が力を合わせれば、それはできるのだ! 利己的に己だけを満足させ
るものを追放し、皆が皆、それぞれに働き、分け合う事が出来れば……だれもが幸せにな
ることができるのだ! そのために双葉は必要なのだ。双葉の奇跡のような力の前に、す
べての人間はひれ伏す。双葉のようなシンボルを皆求めている。この閉塞的にすぼんで行
ってしまった闘争に再び火をともすことができる! 権力者だけが甘い汁を吸うこの国の政治を打開できるんだ!」
 目の前までやってきた犬養は俺の額に銃口を突き付け、血走った目で見据える。
 追い詰められそれでもなお渇望する革命の二文字に犬養は取りつかれたように息を荒く
した。
 銃口の冷たい感覚が俺の額に伝わる。なのに心は不思議なくらい冷静だった。
 後ろで息をのむ君子の息遣いが手に取るようにわかる。
 双葉の強く握る手の温度がはっきりとわかる。
 思考は凍結することはなかった。自分の中でしっかりと呼吸をするように思考は動き続
けている。
いや……これは思考ではない。
 これはもしかしたら感情だったのかもしれない。
 銃口を当てられた恐怖よりも大きな感情が俺の口から静かに飛び出してくる。
「……双葉はどうなるんだ?」
 犬養は口をつぐむ。
 俺は続ける。
「皆が平等に幸せになれるお前たちの革命が成立したとして、双葉は幸せになれるのか?

 犬養が言うように多くの人間が双葉の能力に恐れおののきそしてその後ろについていく
だろう。
 じゃあ、双葉は?
 双葉は笑うのか?
「おまえに祭り上げられて、みんなのシンボルとやらにさせられた双葉はそれで幸せにな
れるのかよ」
「………ああ、なれるさ」
「いいかげんにしやがれっ!」
 逆鱗を撫ぜ感情が噴き出す。
「てめえに決められるわけねえだろ! 双葉の幸せはな、双葉がきめんだよ!」
 自分の手に伝わる暖かな感覚を俺は強く握り返す。
「双葉、おまえの幸せはなんだ?」
「双葉の幸せは……」
 双葉が見上げながら俺の目を覗き込む。
「双葉の幸せは……ゴローと一緒にいること。ずっとずっと一緒にいること」
 そう言って双葉はにっこりとほほ笑む。
 苦々しく犬養は笑い顔を歪ませる。
「犬養、おまえに人の幸せを決める権利なんかねえ。人は勝手に幸せになるんだ。一人ひ
とり、みんな幸せのなり方なんて違うんだ!」
「……うるさい」
「飯が食えねえのも、上の者から搾取されんのも嫌だけどよ、でも幸せになんて誰だって
なれるんだよ」
「うるさい!」
 銃の引き金に掛けられた指が一ミリ動く。
 からからの喉を鳴らして唾を呑む。
「なぜわからんのだ!」
 犬養は唇を震わせながら激昂する。
「なぜわかろうとしないんだ! こんなにも世界は抑圧されてるんだぞ! 世界は劣悪で
無慈悲で弱いものを虐げて、それでもなお無理難題を突き付けて……そんな世界にいてお
前たちは苦しいとすら感じないのか?」
「苦しいよ」
 そんなの当たり前だ。
「苦しくって、辛くって、もがいて、逃げられなくて……」
 どんな世界だって苦しいに決まってるんだ。
「それでも幸せなんだって言ってんじゃねえかよ!」
「……お前と話すのは無駄だったようだ」
 引き金に掛けられた指が動く。
 俺は目をつぶる。
 ……ここまでか。
 パンっ!
 銃声が響く。
 山中に乾いた音がこだまする。
 俺の意識は…………まだ消えていない。
 目を開くとそこには脇腹を押えうずくまった犬養の姿があった。
 いったい何が起こったのかわからなかった。
「五郎」
 君子が俺の肩を掴む。目に映り込んでくる情報以外、何が起こっているのかまでは考え
が至らない。何故犬養が撃たれてうずくまっているんだ?
「だめ、囲まれてる」
 君子は周りに目を走らせる。
 言われてはじめて意識を周りに向けると、ガサガサと動く無数の足音が聞こえてきた。
「……くそ……もう……きたのか」
 犬養は悔しそうに言葉を漏らす。
 俺たちはいつの間にか自衛隊に囲まれていたのだ。つまりそれって松岡さんや垣崎さん
が………。
「その少女をこちらに渡しなさい。抵抗する場合にはその男と同じ結果になるものと思い
たまえ」
 取り囲むうちの一人がそう言う。
 万事休す。
 ここまでか………。
「………死んじゃだめ」
 双葉は自らの足元で撃たれた銃創に手をあて苦しみあえぐ犬養を抱きよせる。
「………」
 双葉は犬養の傷口に手をあてる。見る間に傷口はふさがっていく。
 自分を利用しようとした相手に………いや、度重なる人体実験をし、あれほどの恐怖を
負わした相手を双葉は助けようとしている。
 なぜ?
 どうしてそこまで優しくなれる?
 お前にひどい事をしたのだろ?
 こんな奴、どなったっていいじゃなねえか!
「ゴロー」
 双葉は俺を見上げる。
「誰だって死ぬのは嫌だよ。死ぬことだけ、それだけが人間に平等に与えられたものだよ
。だから死にたくないって思うんだよね」
 俺の心の裡を………思っていたことを耳から聞いたかのように返す双葉に俺は驚き戸惑
う。さっきもそんな事があった。
双葉には聞こえているのだ。俺の心の裡が。
 見る間に双葉は犬養の傷口を完全にふさいでしまった。
 俺は何も言えなかった。
 言えるわけがない。だって俺は犬養なんて死んでも構わないと思っていたのだから。
 双葉に酷い事をするやつらは死んでもいいと思っていたんだから。
 双葉は立ち上がり、今度は俺を抱き締める。
「ゴロー、そう思ったのはゴローの優しさと、ゴローの心の傷なんだよ」
 だって、あいつは双葉にひどい事をしたんだ。
「ありがとう、ゴロー」
 双葉は微かな光を放ちながら重力から解き放たれ、風船のように宙に浮いた。
 光をまとった双葉はそっと俺を抱き締める。
 心の中にわだかまっている怒りや憎しみごと抱きしめられているようだった。自分の中
にあふれ出る醜い気持ちたちは、それでもいいのだ、と許されるように氷解して行く。
「………双葉」
 次第に双葉を包む光が強くなっていく。
 俺は目を見張る。
 目の前の木々が………動き出したのだ。
 違う。動いているんじゃない。木々が成長しているんだ。
 双葉の放つ光を吸収した木々が枝を伸ばし、根を走らせそして……。
 闇の中で幹が枝が根が踊る。
 それは植物の殻を破って動物のように躍動的に跳ねまわり、地面は隆起、陥没を繰り返
し、その中において如何なる武器をもった人間も、ただ非力に翻弄されていた。
 俺も君子もその信じがたい光景に目を見張り、その次には今起こっていることの中心に
いるのが双葉であることに思考が追い付く。
「かまうな! 撃て! 撃てぇ!」
 自衛隊の指揮官の声が聞こえた。その声にどれだけの隊員が反応したのかはわからない
。しかし動き出そうとする気配だけはすぐにわかった。
 このままじゃまずい。
 そう思った俺の顔を見る双葉は、薄く微笑みかけるとゆっくりと目を閉じる。
 双い葉を包んでいた光の衣は光彩を増し、はじけるようにその光を森が吸収する。
 同時に樹木は隆起しせり上がり、取り囲む木々枝々が幾重にも折り重なっては防壁とな
り天を突くようにその手を高く高く伸ばした。
「双葉、どこ行くの!」
 そのままどこかへ飛んで行ってしまいそうな双葉を君子が抱き止める。
 双葉を中心とした大地は、他の場所に対してゆっくりと隆起していった。
 その中にも、いくつもの人の気配が動き銃声が鳴り響く。しかし異常事態に瀕した相手
の狙撃能力は下降の一途で、音のみが響き渡っていた。
「まてっ! 双葉ぁ!」
 その間をかいくぐりながら犬養が双葉に手を伸ばす。考えてもいなかった出来事に気を
取られていて犬養の存在を一瞬でも忘れていた自分に腹が立った。
「くそ……」
 回復した犬養の目から冷静さは霧散し、凝り固まった革命と双葉への執着が彼を跳躍さ
せる。
「君子! 双葉を頼む!」
 俺はせり上がって行く大地の中心から飛び出し、急峻に切り立った崖と言っても過言で
はない木々の隙間に足をぶつけながら犬養に飛びかかる。
 犬養は言葉にならない呻きをあげながら、目は双葉を注視している。
右手を千切れんばかりに伸ばし双葉へと開かれる。しかし届くわけはなくただ無情な現実
に幾度もうめき声をあげる。
俺は犬養を抑え込む。
しかし犬養はなおも抵抗を辞めようとはしない。視界に双葉がうつるかぎりその力は費え
ないのではないかと思った。
「ちょっと、あんたどこ行こうってのよ!」
 気色ばんだ君子がせり上がる木々の上から身体を乗り出す。俺はそんな君子を、来るな
と手で制止する。
「仕方ねえだろうが!」
「なにが仕方ないのよ! だったら、あたしが行くわよ!」
「君子はだめだ」
「あたし、あんたなんかより強いんだからね! あんたが双葉のそばにいてやりなさいよ
! そっちの方がいいに決まってんじゃいの」
「だから、それはだめなんだって!」
「なんでよ!」
「俺が男だからに決まってんだろうが!」
 君子はぼうっとするように俺の顔を見て、それから唇をかんで
「そんな考え方……時代錯誤よ……」
 と自分を連れて行かない事を不満そうにつぶやいた。
 錯乱し滅茶苦茶に暴れる犬養を抑えつけながら、僅かに見上げた先にいる君子に笑いか
けた。君子の姿は木々の成長に合わせて上へ上へと昇って小さくなていく。
 あいつは意外と泣き虫なんだな、ふとそんな事が頭をかすめた。
 ああ、くそっ。死にたくねえなあ。
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