第四章 暗中交錯 B


 俺たちはしばらく進むと松岡さんの言う通り小さな沢に出た。
 水源である岩の亀裂からは滾々と水が彼処から湧き出て大河へとつながる最初の息吹が
紡がれている。流れ落ちる水のキラキラとする幻想的な雰囲気に一瞬、自分の立場を忘れ
そうになる。
「明かりだぁー」
 双葉はふもとの方を見ながら呟く。たしかにふもとから点々と明かりが見えた。僅かな
ようで力強く見える。月も星も雲の中に隠れてなお水源をキラキラと優しく照らしていた
のはあのふもとの明かりなのだろうか?
「もう少しね」
 そう言いながら俺の顔を見る君子の肩は荒い息で上下している。
「少し休んだ方がいいだろう。君子苦しそうじゃねえか」
「苦しくなんてない! ……平気だから!」
 こいつが平気だって言っている時ほどだいたい無理をしているのだ。そんなことずっと
前から知っている。
「なあ、いいから少し休もう。息を整えるくらいしないと、この先で追いつかれても振り
切ることなんてできねえぞ」
「……それは………そうだけど」
 君子が焦る気持ちはわかる。
 しかし俺たちは息を整えるのと同時に少し冷静にならなければならない事もあるんだ。
がむしゃらに走りまわって頭に血が上って、それで判断を誤ることだってある。
 勢いあまって突っ込んだ先が、敵の網の中だった……なんて間抜けだろ。
 神奈川県警に保護されれば俺たちの勝ち。
 自衛隊に捕まれば俺たちの負け。
 そういう単純なものじゃないはずだ。
 そう、それ以外の可能性だってある。だれがどんな思惑を抱いているのかすらわからな
い。だから、少しだけでも冷静にならねばならない。
 バカな行動だけはしないように。
 双葉を守るように。
 気合を入れ直していると君子がこちらを見ながら口を薄く開けている。
「なによ、その顔」
「なんだよ」
「…………なんでもない」
 聞き返した俺に対して唇を噛んでぞんざいにプイッと横を向いて水辺に腰かける。
 いつもの君子の行動だ。
 よかった少しは落ち着いてきたようだ。俺に悪態つくだけの余裕があれば充分だ。
「君子」
 そんな君子に双葉が笑いかける。
「な、なに?」
 君子はやや驚きながら双葉にジッと注視されやはり目をそらす。
なんだよ恥ずかしがってんのか?
 双葉は背を向ける君子を後ろから抱き締め
「君子、いいこ、いいこ」
 頭をなで始めた。
「ちょっ、なによ……突然!」
 恥ずかしさからか顔を紅潮させながら目を泳がせる君子。
 見てて微笑ましいぞ。おまえが手玉に取られている姿なんて。
「君子、ありがとうね。」
「…………」
 盛大に頬を膨らませながら君子は双葉に頭をなでられていた。悪い気がするわけじゃな
いんだろう。抵抗することもなく君子は双葉にされるがままになっていた。
 俺はふもとの方へ眼を凝らす。
 チロチロと微弱な生活明かりがもれている。
 あそこまで無事にたどり着けるだろうか?
 おそらくはふもとの方にも自衛隊は待ち構えているに違いない。この水源にそって降り
て行くのならやはり注意が必要だろう。
 松岡さんと垣崎さんは無事だろうか?
 山の奥から銃声は聞こえてこない。
 であるなら銃撃戦になったとは考えにくいが、それ以外の方法で確保されている可能性
もある。迂闊に安心できるわけではないが、二人の無事は祈ることしか今はできない。
「………ん?」
 気のせいか?
 今、光が瞬いたように感じた。
「……………」
 いや、気のせいじゃない。
 誰かが昇ってくる。複数ではない。一人……なのだろうか?
 君子も双葉もそのわずかな音が耳に入ったのか、体がこわばる。
 俺たちは身じろぎもせずその場に固まり暗闇の向こうを注視する。
 ざっ……ざっ……ざっ……ざっ……。
 踏みしめる靴音がこちらに向かってくる。
 一気に緊張が高まっていく。
 どうするべきだ………こんな時。
 武器の一つもない俺たちがなにかできるのか。
 闇の中から姿を現したのは自衛隊服の男…………いや、違う。
「………………」
「やっと見つけた。さあ、双葉を……」
 犬養幹比呂が俺たちの前に銃を突き付けながら姿を現した。
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