第四章 暗中交錯 A


     ****
 垣崎は暗闇の中に目を凝らすがなにも見えるわけはないとわかってすぐに、要らぬ努力
をすることをあきらめて手元の銃の安全装置を解除する。
 隣では松岡がこの暗さにも関わらず微動だにせずジッとしている。
 それよりも垣崎は気になっている事があった。
「なあ」
「なんですか?」
「サングラスとらないのかい?」
「…………」
 返答する代わりに松岡は顔をそらしただけだった。
「なんでえ、眼鏡取ったら意外とかわいいとか言うんじゃねえぞ」
「!」
「………当たりかよ」
 幾分げんなりとしながら垣崎は機敏に反応する松岡から再び銃に目を移す。
「んで? 銃は使ったことはあるよな? 広島帰りならよ」
「ええ」
 そう言って、松岡は懐からリボルバー式の拳銃を取り出す。
「っけ。銃刀法違反で即逮捕だぞ」
「そう言う事は、生きて帰れたら言って下せえ」
「生きて帰るつもりなんだろう」
「ええ、あたりまえです。まだお譲の嫁入り姿を見ていやせんから」
 やれやれと思いながら垣崎はリボルバーの回転台をスライドさせる。
 八発の銃砲に実弾が込められている。
 覗き込んだ松岡はふと不思議そうな顔をする。
「なんですか? 一発足りないじゃないですか」
 松岡の言う通り、銃弾は七発しか装填されていない。
 一発分の空洞が覗いている。
「おいおい、てめえも商売が商売なら、敵の事も知っとけよ」
「どういうことでやしょう?」
「警察ってのは必ず一発は弾を抜いておくんだよ」
 ほう、とため息なのか感嘆なのかわからない声を出す松岡。続いてそいつはまたなんで
なんですかと気軽な様子で聞いてくる。
 垣崎は舌打ちをしながら
「警察のルールだよ」
「ルールってぇと?」
「いいかい? この世に完璧な人間なんているかい?」
「いやしません」
「だろう。こいつはなあ、うっかり間違って……または本当に必要な時に銃を構えて最後
に本当に打つべきか迷うための一発なんだよ」
 わからないと松岡の顔には書いてあるのが手に取るようにわかる。
「この国において拳銃ってのは圧倒的強さをもった武器だ」
「ええ」
「そいつを俺たちが自由に振り回しちまったらどうなると思う?」
「……わかりやせん」
「考えてみろ」
 松岡は腕を組んで考えだす。今は木々の隙間から狙われている状況下にもかかわらず気
楽なものだと垣崎は鼻から息を漏らす。
「どうだ、思いついたか? 圧倒的な武器を腰に下げてんだぜ」
「いい気になりやすね」
「ああそうだ」
「え? それでいいんですか?」
「良い悪いじゃねえ。人間ってのはそういうもんだ」
 まだわからないというように松岡は首をひねったり、自分の持った拳銃を見つめたりす
る。
「しかし一発の弾丸の影響力は並大抵じゃねえ。いいかい、ここは戦場じゃねえんだ。戦
場だったら相手も武器をもっている。条件は五分と五分だ。しかしこの国ん中では俺たち
しか武器をもっていねえ。という事は俺たちが圧倒的強者になる。そいつが銃をぶっ放す
ってのはよ、周りにしてみたら怖ろしいことじゃないかい?」
「へい、たしかにそう言う事になりやす」
「だから迂闊に銃なんか使っちゃあなんねえ。この一発はそのための一発だ。間違って引
き金引いても、後戻りできるための一発なんだよ」
「どこへ後戻りするんですか?」
 疑問でいっぱいの松岡の顔を垣崎は覗きこむと一言だけ
「………人間に戻るためのだよ」
 ポカンとする松岡の前で、垣崎はどっこいしょと声を出しながら立ち上がる。
 闇の向こうにはただ人の気配だけがする。
 へたに手を出せばこちらはハチの巣になるだけだろう。
 するべきことは時間稼ぎだ。
 相手に勝つことではない。
 だとすればなにをするべきか?
「脅しってわけにはいかねえよな」
 巨木の背に隠れながら思考を整理していく。
 どうするべきか。
「いやあ、垣崎さん、そんな考え方してたんでやすね」
 突然現実に戻ってきたのか、松岡は話しを引き戻し始めた。
「なんだよ、藪から棒に」
「いや、あっしの勘違いでした」
「だから何がだよ」
「てきっり、あっしは垣崎さんってのは自分は完璧だ、とか考えてる人間だと思っていや
した」
 あまりに真正面から真っ直ぐに言われるものだから、垣崎も皮肉で返すことができず、
口ごもってしまう。
「公安っていやあ、エリートコースの二世どもやら、頭でっかちの坊ちゃんがたの吹きだ
まりだと思っていやしたぜ」
「八割まちがってねえよ」
 実際にそういう側面があることを組織内で痛いほど垣崎は感じている。
 それが自分の捜査の枷になっている事を一番嫌いながらも、そうせざるを得ないのが警
察機構なのだと割り切ってもいた。
 しかしこのヤクザのチンピラはぬけぬけと言ってのけては痛快そうに笑う。
 こういうバカは警察機構の中にだって腐るほどいる。
 いや、ヤクザと警察なんてものは紙一重の存在だ。
 肩書や周りからの目で見ればまったく逆と言っていいもののように見えて、その実は警
察もヤクザもそれほど変わらない。縦と横のつながり、政治もあり、鉄砲玉も噛ませ犬も
いる。どんなに言い逃れをしたっているものはいるのだ。
 こと公安部はヤクザの比ではない程の汚い事をして、潜入捜査をしなければならない。
 人心を操り、恐喝し、友情や恋心までを捜査に利用する。すべて計算づくめでだ。
 垣崎とて幾人もの人をだまし煙に巻いて、その上でいくつもの過激派組織を壊滅に追い
やった。その裏で幾人の人間の涙が流れたかは知らない。
 聞いた話によれば、公安部に利用され心をむしばまれ自殺に追いやられるものもいると
聞く。それでもなお、しなければならない捜査とはなんだろう、と自問する時もある。し
かしそれは警察官であり、公安部である以上は愚問でもある。
 垣崎はその都度、そう言った疑問を頭からかき消してきた。
 しかし今目の前にいる男と、自分は子供を守ろうとしている。
 自衛隊と一戦交えようとしている。
 公安部という一種のスパイ組織の中において、これはもっとも愚行中の愚行である。
 スパイが表に出ていいわけがない。表に出て派手にドンパチやるのは映画か何かの世界
の話なのだ。
 自分に焼きが回ったことと、たとえ生きて帰ったとしてもその後の出世街道からの転落
に思いをはせて、軽くため息をつきながら一緒に迷いごとをはきだす。
 さて、どう足止めするべきだろうか。
 こちらが動けばあっちも動くだろう。
 応戦すればあちらも応戦してくる。
 どんなに修練を積んでいたとしても、どんなに銃に名手だとしても人数的にあっちが完
全に優位に立っている。
 戦う道が一番リスクを高くすると考えていいだろう。
 ……だとすれば。
「このまま投降しちまえば、一番穏便なんですけどねえ」
 ぼそりと松岡がぼやき声が聞こえる。
 そんなことはわかっている。自分たちが穏便に生きて帰るにはそれが一番に決まってい
る。しかしあの双葉というよくわからない能力をもった子供は確実に捕まえられて、国の
どこがしかの機関に監禁されることになるのだろう。
 どう使われるべきか迷うほどの圧倒的な力。それを手に入れた国が暴走すれば、学生た
ちの比にならない程の破壊活動の道具となる。
 つまり……戦争の道具となるのだ。
 破壊活動防止法をお題目に上げる公安部なら、止めねばなるまい。ならばあの子をなん
とか逃がさねばならない。
 投降するわけには……。
「……おい、それだ!」
 垣崎は松岡に飛びかかる。飛びかかられた松岡はなんの事かわからず
「は?」
「投降するぞ」
「ま、まってくだせえ! ここに来て裏切りたあ、どういう事ですか?」
「いいか、てめえは投降したら本当の事を言い続けろ」
「……だからどういう事ですか?」
「いいから俺の言う通りしやがれ」
「警察らしくなってきやがったな……」
 松岡のサングラスの奥からギラリと敵意があふれる。
 しかしそれを呑みこんでなお余りあるほどに垣崎のつり上がった目じりは有無を言わせ
ない気迫をはらんで対峙する。
「一番時間を稼ぐ方法だ。いいか、てめえはずっと本当の事を言え。嘘はつくないいな」
「考えあって……ってことでいいんでやすね?」
「ああ」
inserted by FC2 system