第四章 暗中交錯 @


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 犬養は眼下で展開される総力戦に目を細めた。捕縛され身動きはできなかったものの、
仮設テントからは競り合う神奈川県警機動隊と陸上自衛隊の様子が手に取るようにわかっ
た。
 ふもとでは神奈川県警が押し寄せ、それを押し返す自衛隊のもつれあいが展開されてい
る。機動隊が総出となり、昨今の六十年代安保で散々戦った歴戦の戦士たちは、戦うため
の訓練をし続けてきた自衛隊とも互角以上の戦いを展開した。
 なによりも近代戦は銃火の威力と布陣の張り方、そして爆撃機からの応戦を中心に考え
られた戦闘法を繰り返してきた自衛隊にとって重火器を使用しない戦闘は彼らのスキルに
は存在しない。しかし目の前の機動隊は警棒を振り回しジェラルミンの盾を構え突進して
くる。
 こんな場において役に立つのは近代戦の戦闘法よりも、戦国時代の兵法の方が役に立つ

 押され気味の自衛隊をしり目に犬養幹比呂は拘束された両手に目を落としながら視界の
片隅でおりなされる戦闘に笑いを浮かべる。
 戦い馴れていない自衛隊に、いずれ神奈川県警の方が勝つだろう。
結果は目に見えている。
 しかしそんなことはどうでもいい。今、自分は行かなければならない場所がある。
 自分がここに来た理由。
双葉を手に入れること。あんな人間を見たことはない。
 否、人間に非ず。
 あれはもしかしたら神に使わされたものなのかもしれない。元来神なんてものを本気で
信じたことなんてなかった。しかし、双葉は間違いなくそう言った科学の範疇にある常識
を覆す存在だ。
 大赤色革命軍にはシンボルが必要なのだ。
 カリスマ的人間ではない。閉塞された村社会的観念に陥ったロートルたちは、結局挫折
し敗北していったではないか。
 シンボルとは絶対的なもの。
 そう、人なんかであってはならないのだ。
 啓示を受けたようだった。
双葉に会った時、犬養幹比呂は直感的にそれを感じ取った。
 それは科学に裏付けられた医学の世界を、180度変えるものだった。
 汚く、金と名誉そして政治が暗躍し、人の顔をしているだけのとても人の心をもったも
のとは思えない医療現場。
徒弟制度の蔓延った医療現場は上の者へ媚へつらい、金と時間を費やして築いた信頼によ
ってのみ有効で、本来の目的である医学の進歩のために成されるべき時間と資源など、病
院の中に存在はしていなかった。
 犬養幹比呂が学生として在籍した大学で、彼はウィルス抗体の実験を行うチームにいた

 菌類と違い機械的構造のウィルス。地球上のどの生物とも合致することのない機構をも
った生き物……いやナノテクノロジーマシンとも言える不思議な生命体。
 知るほどに犬養幹比呂はその世界に魅せられていった。
しかしその研究の中心となって動いていた助教授は、政治の出来ない男であった。
 それゆえ犬養幹比呂たちは少ない予算、劣悪な環境での研究を余儀なくされた。
 この研究が形になれば、世界のウィルス抗体研究にどれだけの多大な影響が与えられる
ことだろう。それがわかっていながら、どうすることもできないジレンマ。
 幹比呂は愚痴交じりに同級生にその事を語ると、級友は幹比呂に紹介したい人がいると
言いだした。
 突然の申し入れに戸惑いながらも後日幹比呂は彼に紹介された集団に出会う。
 医学界に蔓延る徒弟制度に反抗した勇気ある者たちの集団であった。
 学生闘争という言葉を犬養幹比呂はなんとなく聞き知っていたが、当時の彼はそれほど
詳しいわけではなかった。
 幹比呂はそこで多くの事を知った。
 東大医大生を中心とした、徒弟制度、学会腐敗をただすために立ち上がった学徒たち。
 彼らの志は高かった。
 医学の進歩のためには、医学界にだけ目を向けていてはならない。医学界を変えようと
するのなら、この国すべてを変えねばならない。潤沢なる資金を万民のために使わず私益
のみに走るブルジョアジーを駆逐し、無益無法に戦争をするアメリカを弾劾するべきであ
る。すべての人が抑圧されることなく幸せになることのできる世界を作らねばならないの
だ。
 幹比呂は自分の研究に閉じこもり、広く世界を見ていなかったことを悔いた。自らの研
究だけがすべてであると思い込んでいた自分の料簡の狭さを総括し、新たな目標を見出し
た。
 取りついていた憑き物が落ちたかのように、羽が生え空を飛びまわるようにすべてが軽
くなったような気がした。本質とはこういう事なのだと認識した。
幹比呂はその後展開される、日大の学費値上げ反対闘争、カンボジア戦争への反戦運動、
佐世保エンタープライズアメリカ軍入港反戦闘争。成田国際空港建設反対闘争。羽田空港
建設反対闘争。国際反戦デイと主だった大規模集会から小規模なものまで自分の身体が持
つ限り参加し続けて行った。結果気がついた時には大赤色革命軍総裁の立場に上り詰めて
いたのだった。
幹比呂はその闘争の中であらゆることを知った。
 いつも、どこかで弱者が権力者に搾取され、抑圧されている。
 無知であるがゆえに、世界はこんなにも権力者によって操作され隷属させられていたと
いう現実に気がつくことができない。
 いったいこれはなんだ?
 戦時中の情報統制下とどれほどの違いがあるのだ?
 人が人としての権利を叫び、人が人としての権利を享受することが理想の世ではないか

 これでは民主主義というお題目だけの金看板を掲げた、帝国主義ではないか。
 こんな社会ではいけないのだ。
 社会は人が人らしくあるために機能するべきではないのか?
 犬養幹比呂は次第に学生闘争、政治闘争へとのめりこんでいった。
 角材一つを振り回し、何百とういう集団が機動隊にぶち当たる瞬間、幹比呂はちっぽけ
な人間である自分も、協力し合えば世界を変えられると感じた。
 投石一つが火炎瓶一本が、列車を止め、交通を止め、社会を止めた。
 世界は自分たちが全力でぶつかれば変革できると思った。
 遠い記憶から犬養幹比呂は顔を上げる。
 見下ろしたふもとではまだ神奈川県警と自衛隊が小競り合いをしている。どれだけ黙考
していたのだろう。いや、一瞬の走馬灯だったのかもしれない。わずかな時の中に電流が
走って記憶を飽和させて溢れ返った残滓が網膜の裏側に甦ったにすぎない。
 ずいぶんと遠くまでやってきたものだ。
 犬養のその感慨は遠い記憶に起因することは明白ではあったが、その先、ここから先は
いったいどうなるのかを思考する。
 どうやら自衛隊は自分と双葉を引き合わせようとしているようだ。おそらく自衛隊も上
からの命令とはいえ双葉の存在に半信半疑なのに違いない。下手な事をしたら責任問題だ
。あくまで扱いは慎重。
間違ってもなにかあってはならないのだ。
しかし、何かしなければ事は始まらない。きっかけが必要なのだ。
だとすればあて馬が必要だ。なにがどうなっても、すべての責任をなすりつける相手。
 つまり自分だ。
 犬養幹比呂は腹の奥を震わすように押しつけながら低く笑う。
 結局そう言う事なのだ。
 権力は弱者を利用する。
 いつになってもかわらない。
 やつらの思い通りになるわけにはいかない。自分には双葉が必要だ。この国のすべての
弱者が立ち上がれば世界は変革できる。
 しかしみなそれをわかっていない。知らなければならない。自分たちが虐げられている
事を。
そのためには手を引いてやるものが必要なのだ。
圧倒的な力をもった者。
 それはシンボル。
 人を先導し導きいれる者。
 双葉……待っていろ。
 ゆっくりと犬養幹比呂はその場にうずくまる。
「おい、貴様何をやっている!」
 自衛隊員が慌てて犬養に銃を向けながら駈けよる。しかし過剰には近づかない。
 距離を保ちながら銃で牽制する。
「…………くるしい」
 消え入りそうな小声で犬養はそう一言だけいって、呼吸を荒げた。
 ほとんどの隊員がふもとの神奈川県警、そしてもう一方は山中に踏み込んでしまい、本
部の人員は限りなく少ない。
 いま犬養の見張りをしていたのもこの隊員をおいて他に居なかった。
 隊員はしばらくオロオロしていた。犬養は額に脂汗を浮かせ
「たのむ………救護班の人間に見せてくれ……」
 呻きながらもう一度、くるしいと言いながら身体を丸くする。
「お、おい、大丈夫か? 立てるか」
 犬養は何も言わず、少しだけ首を震わせるように横に振るだけ。
「わかった、背中に乗れ」
 そう言って隊員は犬養を背中に担ぐと、すぐさまテントの中を出ようとする。
「…………」
 犬養はそっと口の中をモゴモゴとさせる。
 そして唇の間から尖った先端部が顔をのぞかせる。
 それはごく細く短い釘の先端だった。
 犬養は歯と舌で釘をしっかり固定させたことを確認すると、自分を背負って歩く自衛隊
員の首筋に目を合わせる。
 盆の窪と呼ばれる人体急所に、釘は音もなく何の抵抗もなく差しこまれる。
 自衛隊員はその場に、自分が死んだことも気がつかない程あっさりと倒れた。
 犬養は口の中に隠し持っていた釘を吐き捨て、隊員の持ち物から手錠のカギを取り出す

「……待っていろ、双葉」
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