第三章 観念迷宮 D


「どういうこった?」
「安延さんから連絡があったの……ってか、まあこんなことになるだろうと思ってたから
松岡にも待機してもらっていたけど」
 思いっきり腹の中にたまった緊張感を吐き出すように俺は息を吐く。
「だったら一緒にいりゃあよかったじゃねえか」
「ばか。お風呂にも入りたいし、着替えもしたいの!」
 へいへい、そうですか。オンナノコですもんね。でも、まあ、とりあえずは、
「ありがとう」
「…………」
 言葉が届いているのかどうか、君子はムスッとした顔で車窓の外を見つめていた。
 握りたてだったおにぎりがまだ暖かいのか、双葉は腹に抱っこしてほくほくと緊張感の
ない顔をしている。俺自身少し落ち着いたこともあって、やっと周りに目を向けるところ
まで気が回るようになってきた。
 車はハイスピードで国道を郊外に向かってひた走る。
 けっこうなスピードだ。ちょっと怖いな、と思っちまうほどに。だから気がついたんだ
。こんな速度で走っている俺たちの乗る車にぴったりと付いてくる車両に。普通、よけこ
そすれ、わざわざ付いて来るわけねえじゃねえか。
「松岡さん、後ろ後ろ!」
 腰を浮かしかけたところで、松岡さんの片手が俺を制止する。
「危ないんで、坐っていてください」
「で、でも、追ってきてますよ」
 俺の嘆願に、君子もすぐさま後ろを振り返り、腰を浮かしかける。
「お譲も五郎さんも落ち着いて下せえ。こちとら先刻承知です。それよりも、気になりや
せんか?」
 それよりも?
 後ろの車より気になる事なんて今何があるんですか?
「あっしら、さっきから一度も信号に引っかかっておりやせん」
「……あっ」
 君子の声に俺の心中も同意して、顔を見合わせ腰を下ろす。
 たしかにそうだ。さっきから赤信号に当たっていない。
「あっしの感ですが、誘導されてるんじゃないかとおもいやす」
「誘導ってどういうことよ?」
 気色ばむ君子。双葉は状況が読み取れず、俺と君子の顔を交互にきょろきょろと見る。
「この感覚……違和感は間違いありやせん。後ろの奴らはただついてきているだけです。
それから信号は、誰かが操っているんでしょう。国土交通省の管轄の筈ですが、それ以外
の手が加わっているかもしれやせん。それに、さっきから微妙に右折禁止やら、道路工事
の看板が多い。オリンピック前だってこんなに工事はやっていやせんでしたよ」
 松岡さんがこんなに一気に話したてるのをはじめて聞いた気がする。松岡さんはいつだ
って必要なことしかしゃべらない寡黙な人だ。
その人がこれだけ雄弁に語った内容はつまりは、全部重要ってこと。
 俺たちはどこかに向かって、追いたてられているんだ。
 ずいぶん昔見た、西遊記の最初のシーンが思い浮かぶ。どんなにどんなに遠くまで行っ
ても、自分はお釈迦様の手のひらから抜け出してもいない。そんなシーンだった。
 俺たちは今そんな状況なんじゃないだろうか?
「何とかならないんすか?」
「今無理に進路をずらしても、たぶん無駄でしょう。奴らはこの街すべてを掌握している
様子です。しばらくはあいつらの思う通りに動くしかありやせん。どこかに打開の道はあ
るかもしれやせん」
 限りなく絶望に近い状態。俺は言葉を失うように沈黙する。
「……なんで」
 君子だった。
「なんで双葉がそこまでして狙われなきゃなんないのよ」
 怒りとも憐憫ともつかない呻き。どうする事もできない弱者だと宣告された者の憤り。
 それ以上の言葉が見つからなかった君子はただ悔しさに身を任せ、肩を震わせて俯く。
「仕方ないんだよ」
 そっと君子の上に投げ出された手は優しく彼女の頭を撫ぜる。双葉は母が娘にするよう
に、傷ついた友を慰めるように優しく抱きしめる。
「ずーっと昔にね。双葉が、双葉になるよりも前にね。みんなあたしたちを欲しがったん
だよ。死なない身体をみんな欲しがって、双葉の家族をどこまでも、どこまでも追っかけ
てきたんだよ」
 君子が顔を上げ双葉を見る。優しい笑顔が見つめ返す。
「すごく長い間、みんなが双葉たちを欲しがってたくさんの人が追いかけてきたんだ」
 双葉が話しているように、俺にはどうしても思えなかった。
 遠い過去の記憶、双葉の記憶ではなく、彼女の遺伝子が話している。そんな気がした。
いや、もっと懐古主義的に言うなら魂が話している、っていった方がいいのだろうか? 
彼女がずっと抱えてきた悲しいはずの歴史を、そっと昔話をするように紡いでいく。
「でもね、どんなに双葉たちを調べても、死なない身体になんてならないんだよ。だって
、双葉たちだって永遠に生きられるわけじゃないんだもん。でもね、人間はそれでもみん
な双葉を欲しがるの。死なない身体を欲しがるの。それは、何千年も変えることができな
いことなの。だから双葉の家族はみんな人の形を捨てることにしたの」
 彼女には人の傷を癒す力がある。彼女自身がどんな傷を負っても、人のように死んでし
まうことはない。
 それは人間っていう一つの弱い生き物から見れば、ものすごいものだってわかる。歴史
の中に登場する権力者たちがみな、永遠の命を手に入れようとした事実だって知っている
。でもこんなのってありか? 仕方ないで済ませちまっていいのか?
「人の形を捨てて、双葉たちはずっと土の中でひっそりと生きていたの。でも孤独だった
んだ。土の中は冷たくて寂しくて涙が出そうで……でも人の形を捨てた双葉たちはもう涙
を流すこともできなかったんだ。だから双葉は外に出てきたんだ。でも……」
 でもの先はわかっている。
 歴史がそうであったように、双葉の力に気づいた者たち……つまり犬養みたいなやつが
双葉を利用したんだ。
 思い出すだけでもはらわたが煮えくりかえりそうになるような実験を行い、そして双葉
に列車爆破という仕打ちをしたんだ。もしかしたら、あの列車爆破すら、犬養たちの実験
だったのかもしれない。
「だから双葉はゴローが好きなんだ」
 急な展開の告白に俺はどぎまぎする。
「ゴローだけが双葉を許してくれたんだ」
「……許す?」
「双葉に生きていていいって……ただそこに居てもいいって許してくれたんだ」
「許すも何も……双葉がいてくれなくちゃ、俺はいやだ」
 俺が正直に言うと、双葉は柔らかな笑みをこぼす。
「そんなこと……双葉ははじめてなんだよ」
「………」
「人の姿に戻ってからも……人の姿を捨てる前も何千年も生きてきて、そんなふうに優し
くしてくれたのはゴローだけだったんだよ」
 気が遠くなるような話だった。
 双葉が……いや、双葉の一族が、その生命の秘密のために追われ迫害され生き続けてき
た数千年の月日。
 そのために失った人の形。
 そして双葉だけが人の姿に戻り……そしてまた歴史は別の形で繰り返されてしまうとい
う悲劇。
「だから双葉はゴローが大好きなんだ」
 そう言ってうれしそうに腕にすがりつく双葉に俺はかける言葉が見つからなかった。
 双葉の手を握って、あたまを撫でてやると
「うへへ……」
 とくすぐったそうに目を細める。
 双葉。どうしてそれほどまでに辛いことを経験し続けてきて、それでもまだ笑う事が出
来るんだ? 俺なんかがしたことはなんでもないことじゃないか。おまえが経験してきた
数千年の歴史の中における俺の優しさなんて、海の中の砂粒ほどもないじゃないか。
「そんなことないぞ」
 俺の脳裏に浮かんだ事を見透かしたような双葉の言葉に俺は再度言葉を失う。
 心なしか双葉の身体が光をまとっていたように見えたのは、驚きのあまり俺が見た一瞬
の幻覚だったのだろうか?
 俺は何がそんなことはないのかと問おうと口をひらきかけた時だ。突如、脇道から轟音
が上がる。でかい質量がなにかをぶち破るような音だ。
なんのことかわからず周りを見回すと、一台のパトカーが工事中の看板をふっ飛ばしなが
ら、こっちにぶつかる勢いで突っ込んでくる。
 松岡さんは寸でのところでそれを交わす。
 パトカーもこっちに寄り添うような形でドリフトしながら、態勢を立て直す。
 すぐさま、向こうの車窓が開く。
 垣崎さんの顔が覗き、大きな声でなにかを言っている様子。
 すぐさま君子も車窓を開く。
「犬養が自衛隊に渡った!」
 垣崎さんが言うことがどういう事か吟味する余裕がない。
「自衛隊はその、双葉についての秘密を掴んでいる!」
「どういうこと?」
 君子も車窓から身体を乗り出して聞き返す。
「お譲! あぶないです!」
「うるさい! ちょっと、どういう事なの? 双葉の秘密って何?」
「そいつはわからねえ! ただ、犬養を逮捕する直前に陸自のやつらが犬養を確保しちま
って受け渡し交渉に応じようとしねえ!」
「あたしたちはどうしたらいいの?」
「このまま突っ切れ! 東京都内は完全に陸自に掌握されている! 神奈川に出れば県警
がおまえらを保護する手はずは整えた!」
 この先はこのままいけば県境になる。急な坂道とうねる道が続く山道だ。
 街中での捕獲劇をすれば自衛隊は確実に叩かれる。だとすれば、
「やはり越県なんでしょうね」
 松岡さんに俺も頷く。
「あっちは武装していやがる! 銃撃戦はさせねえから安心しろ!」
「何言ってんのよ! こんな少人数、存在しなかったことにするくらい平気じゃないの!

 君子のいう通りだ。俺たち四人。それに垣崎のおっさん含めたってすぐに消せる人数だ
。最初からなかった事にできる人数なのだ。誰も見ていなければ。
「いいか! 破壊活動、集団テロ行為を防止すんのが公安だ! 相手が誰だろうとテロと
思しきもんは取り締まる!」
 君子の顔からも笑みが零れる。その勢いに乗っかって双葉が立ち上がろうしたが、抑え
て坐らせる。危ないって。高速で走ってるんだから。
「あんたいいとこあんじゃない!」
 垣崎さんは君子の珍しい褒め言葉にも無反応、いやちょっと嫌そうな顔だけして車窓を
さっさと締めてしまった。
 ちょっとくらい愛想よければいいのに。不器用なんじゃないの? おっさん。
 パトカーに先導されて俺たちは県境へ入ろうとしていた。
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