第三章 観念迷宮 @


さてさて、日が明けてすぐに俺たちは行動を開始する。もちろん双葉にかかった容疑を晴
らすためだ。ってことは、双葉をいいように使おうとした大元と接触する必要があるって
ことだ。大元ってのは他でもない。大赤色革命軍の幹部、犬養幹比呂だ。
 まず何をするか。
 考えども寝起きの頭は栄養を欲しているらしく、回転はすこぶる悪い。
 安延さんは朝早くから、朝食のためにキッチンを駈けまわっていた。時間帯的にもまだ
ご飯が炊けている時間じゃない。用意の時間だ。俺は安延さんにお願いして、昨日の残り
の冷や飯を三人分お願いすると、卵と醤油を出してくる。
「たーまごー!」
 朝から大喜びだな、双葉。
 三人黙々と卵かけご飯を口に運ぶ。
「さてどうすっか……」
「どうしたんだ、ゴロー?」
 俺の憂鬱な面持ちに感じ入るところでもあったのか、双葉が不器用な握り箸をとめて
キョトンと見上げる。
「んー、なんつったらいいのかな。犬養ってやつに会うにはどうしたらいいもんかってな

 相変わらず何の事だかわからないとばかりに口を半開きにした双葉は首をひねったりし
ている。ああ、ああ、俺が悪かった。思い出せって言ったって憶えてないもんな。
 双葉は依然首をひねりながら考え、それから徐に俺の顔を見る。
「ゴローは犬養に会いたいのか?」
「え? ……ああ」
「じゃあ、連れてくぞ」
「「はあ??」」
 俺も君子も口の中に残った米粒を噴き出しながら席を立ちあがっていた。
「知ってんのか?」
「知ってるぞ」
 どういうこだよ。だってお前……。俺と同じ疑問を先に口にしたのは君子だった。
「ちょっと待ってよ。双葉って記憶喪失なんじゃないの?」
「きおく……そうしつ? なんだそれ?」
「だから、爆発前のこと憶えてないんじゃないの?」
「憶えてるぞ」
 さも当たり前のように言う双葉。
「だって、お父さんもお母さんも憶えてなかったじゃない」
「うん? だから、お父さんもお母さんもいないぞ。ずっとそう言ってたじゃないか」
 た、たしかにそう言っていた。最初から。
 つまり俺たちは、勝手に双葉には両親がいる、という先入観に囚われていた。双葉は一
個も嘘をついていなかったということなのか?
「なあ、じゃあ、双葉はどっから来たんだよ?」
「ゴロー、昨日言ったじゃないか。ずっと土の中にいたって」
 おまえはセミか! なんて突っ込みがで来たかと言うと、俺にはできなかった。なぜな
ら双葉の眼は真剣だったからだ。冗談でもふざけているわけでもない。本当にあったこと
を言っているだけの顔だったからだ。
「双葉はずっと土の中にいて、誰かが掘り起こしてくれて、そんで、他の誰かが血を分け
てくれたんだ。だから双葉はゴローに会えたんだ」
 別にオカルトが嫌いってわけじゃない。雑誌とか読んでいりゃ、そういうのにだって目
が行く。そして、今双葉が話しているのは他でもない。間違いなくオカルトだ。
 しかし今更それの真偽を疑う必要があるだろうか?
 いや、疑うとかじゃねえな。俺はもうおかしくなるくらいに、不思議な体験をしている
んだ。どうしてそうなったのか、そういうことは幾ら考えたって仕方がないのだろう。双
葉には不思議な力がある。その事実しか俺たちの前にはない。
「じゃあ、双葉は土ん中から出てきて、それから、まあ色々あって犬養と会った、ってこ
とだよな?」
「うん! そうだ!」
 つまり垣崎という警察官の話していたあの事件。路上の警官が発砲し、一発は銃を奪お
うとした犯人に。そしてもう一発は近くを歩いていた女性……つまり双葉に当たったあの
事件があって、双葉は犬養に出会っちまった。
「銃弾が命中しても双葉は平気だったんだろ?」
「ああ、平気じゃないけど、平気だった」
「それに目を付けたんだろうな、犬養は」
 確認するように君子を見ると、あいつも同じ考えだったんだろう、頷き返す。
「ねえ、だったら双葉には全部の記憶があるってことなんだよね?」
「ああ、あるぞ!」
 君子と俺は顔を見合わせて息をのんだ。
 話す言葉が拙かった双葉を俺も君子もてっきり頭打った衝撃でどうにかなっていたとか
、記憶をなくしているから言葉も足りなくなっていた、と思っていた。
 しかしそういうことじゃなかったんだ。
 双葉は最初、言葉を知らなかったんだ。記憶喪失じゃないかと疑問を抱いたときに感じ
た違和感。『蝶々』を知らないと言った双葉。
 そもそも、知らなかったんだ。
「なあ、じゃあ双葉。おまえ犬養がどこに隠れているのかも知っているんだな?」
「ああ、わかるぞ。ゴローは行くのか? 犬養に会いに」
 双葉はいつもの溌剌とした笑顔はそこにはなかった。すこし……すこしだけ不安そうな
顔をのぞかせて、ジッと俺の顔を見ていた。
 でも俺はこの時まだ双葉が見せた不安そうな顔の本当の理由に思いが至らなかった。そ
れよりも犬養を追い詰め垣崎に引き渡すことを考えていた。
「ああ、会わないといけない。でなきゃ、双葉だけが悪者になっちまう」
「別に双葉は悪者でもいいぞ。ゴローと一緒なら悪者でもいいぞ」
 ああ俺……泣きそう。
「ヘラっとしてんじゃないわよ! 前歯へし折ってあげようか?」
 君子め、なにが気に食わん。俺は気を引き締めなおし、ケツの穴にギュッと力を入れる

「いいか、双葉。お前が悪者になっちまったら、もう俺たち会う事もできねえ。ずっと双
葉は塀の中に入れられて別々の世界で生きていかなきゃならなくなる。だから、犬養を見
つけるんだ。そんで、双葉を利用して悪いことしようとしてたって白状させなきゃなんね
え。でなけりゃ、俺たち……」
 ああ、その後は言えねえよ。一生に一度のセリフになるであろう、そればかりは俺の口
からはまだ言いだせねえ!
 大切な言葉ってのは軽々しく言っちゃあいけない。俺は大概に惚れっぽい軽薄軟派野郎
の骨頂みたいな精神を持ち合わせているが、それでもちゃんと境界線だけは引いとかなき
ゃいけねえんだ。
 でなけりゃ、人間のクズになっちまう。
「……ばか」
 腕組みで横目にシラッとした様子で君子が軽蔑的視線を向けてる。
馬鹿で悪かったな。そこまで人間捨てちゃいねえよ。
「なあ、双葉。だから案内してくれ。犬養を捕まえなきゃなんねえ。わかるな」
 双葉はコクリと頷いただけだった。
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