第二章 追跡者は眠らない F

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「木田二等海尉、入ります」
「ああ、悪かったね。急な呼び出しで」
 初老の白い制服に身を包んだ上官の労いの言葉にも木田はピクリとも反応を示そうとは
せず、ただまっすぐに立ったまま、ここに呼ばれた理由を、つまりは任務を聞く体勢に入
っている。
 普通自分に呼ばれた者は何を言われるのかとおっかなびっくりやってくるものだ。それ
が喩え佐階の上官であってもやはり恐れを抱く。
 椅子に腰かけていた大野海将補佐は、話しの通りが良すぎなことと、その味気なさに苦
笑いを漏らした。
「気を楽にしていい」
「はい」
 と返事をするものの木田は相変わらず、その場に立って身じろぎもしようとはしない。
さっさと本題に入れと急かされているような気になってしまう。もう一度苦笑いがこみあ
げてきたが、そこは敢えて押しとどめることにする。
「木田君。君の過去についていくつか質問がある」
「はい」
「君はかつて陸軍赤坂研究所にいたことは間違いないね?」
「はい、陸軍解体後昭和35年の焼失までは在籍していました」
「そこにあった陸軍資料については?」
「閲覧できる範囲のものに関しては全て目を通しました」
「閲覧でいる範囲?」
「ほぼすべてと取っていただいて構いません。赤坂教授の個人的私物は、その該当から外
れるという意味です」
「なるほど」
 よどみなく繰りだされる答えに、大野は少し息をついて次の質問に移る。
「その資料の中に『緑光石』という文面はあったかね?」
「ありました」
 躊躇なく返ってきた答に大野の方が虚をつかれて言葉に詰まった。
 本来であれば最重要機密に他ならない。この木田という隊員が嘘を言っているようには
思えなかったが、それでも確認を怠るわけにはいかない。
「内容は?」
「蓬莱に生ずる石にして仙界の法力籠めたる宝玉也。持つ者には死来たらず。万病にては
回してなお強靭たる力を持つ」
 書いてあったろう文面を読み上げるように単調に言葉を紡ぎだす。
「どういった物かは知っているのかな?」
「その『緑光石』をもつものはどのようにしても死ぬことはないという内容でした」
「どう思う?」
「特に思うところはありません」
「見解でいい。聞かせてくれ」
「非科学的でおとぎ話などの文面と相違ないと」
「まあ、そうだろうな」
 その後を言うか大野は一瞬躊躇する。言わねば話しは一歩も前進しないのだが、自分自
身が信じられないこともあってか、やはり言葉に詰まってしまった。
「満州のハルビン第二研究機関は知っているかね?」
「生物学研究機関であったと聞いています。しかし昭和19年の事故の際に閉鎖されてい
るはずですが」
「その閉鎖理由に関しては?」
「自分の知るところではありません」
「よろしい。この資料内に事故の詳細が示してある」
「それは『緑光石』に関することと認識して構いませんね」
「ああそうだ。さらに言うならどうやらそれと同じ物が近日発見されたらしい……同封し
た資料内にそれについても記してある。後で構わない読んでおいてくれ」
 差し出された資料を木田は無言で受け取る。
「正しい情報とは言い切れないが、陸自が極秘で動いている」
「…………」
「陸自には旧日本軍の考えを引きずっている者たちがまだ多数、幹部として在籍している
。その旧日本軍の遺産を陸自が放っておくと思うかね」
「思いません」
「であるなら君への任務は明白だろう。陸自の思惑は自衛隊の増強と改編だ。やっと落ち
着いて日本に軍備が整った矢先に、再びことを荒立てようとする輩を止めるのが君の任務
だ。表だった事になれば世論はうるさいからな」
「緑光石の抹消でしょうか」
「そういう事になる。先ほど防衛庁長官からの要請が入った。本日付けで木田正成二等海
尉を、三等陸曹として陸上自衛隊に移動を命ずる。なにか質問は?」
 ここで質問ができるような輩は早々いるものではない。しかし大野がそのまま締めよう
とした矢先に木田はスッと手を挙げる。
「一つ、気になることがります」
「……言ってみろ」
「書面に書いてあることを鵜呑みにするのなら、この石を持ったものは不死になり、また
石そのものが人の形を成すとも書いてありますが、この場合抹消は不可能と言う事になり
ます」
「矛盾しているとでも言いたげだな」
「矛盾しています」
「だから君なんだよ。こちらは打てる手立てはせいぜい誰かを陸自に潜り込ませる程度だ
。後は君の柔軟な判断に期待する」
「……柔軟な……ですか」
大野を大いに驚かしたのは思わぬところで出た木田の狼狽だった。たしかにこの男は柔軟
性という観点から考えるとすれば、表現や感情に欠けているところがある。しかしそれを
差し引いても、十二分の働きを平気でしてきたのも事実だ。そんな木田がいったい何を狼
狽することがあるのだろうか?
任務の内容に関して言えば、他の隊員であるなら狼狽することは間違いない。しかし木田
であるなら二の句を告げずに了解することは明白だろうと思っていただけに大野の驚きも
ひとしおだった。
「珍しいな。君が不安がるとは。柔軟な判断は出来かねるかね?」
「いえ……ただ、自分の独断によって生じる結果が大野海将補佐のご期待に添えるものか
は、その限りではありません」
 木田の口からそのような発言が出たことが大野にはおもしろくて仕方なかった。
 多少の暴走は許せとな。言うようになった。すこし彼に対する評価を変えねばなるまい
。ただの機械であるかのように任務をこなす木田は、それなりに人としての考え方を模索
しているのかもしれないのだろう。
「ああ、構わん。その場合は私が責任をとればいいだけだ」
「申し訳ありません」
 少しも申し訳ない顔などしていない木田を席上から座ったまま見送り、大野は一人部屋
の中でため息をつく。
 さて、ガセの情報であるなら問題はないのだがな……そうはいくまい。
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