第二章 追跡者は眠らない E


「はいはい、そこまで」
 天の助けを伸ばしてくれたのは他でもない安延さんだ。ああ、もう女神に見える!
「うーん、五郎のプレイボーイっぷりにも困ったもんね」
 安延さんまでそんなこと言わんで下さい。
 ああ、もう、千葉に帰りたい。漁村が恋しい。
「双葉ちゃん」
 安延さんはジッと双葉を問いただすように見つめる。
「なんだ?」
「男はね、単純な生き物だからそういうこと言うと本気にしちゃうのよ」
 安延さん? どういうフォローですか?
「冗談で言ってるんだったら、五郎に勘違いされないようにちゃんと否定しなさい」
「否定なんてしないぞ。あたしゴローが好き」
「五郎は貧乏で学校に行くために借金まみれで、将来安定するかどうかもわからないし、
その上、身についた貧乏根性はけっこう引くくらい卑しくて、ついでに落ちてるものも時
々食べる、そんな男よ」
 安延さん。俺、今、がっちり傷つきましたぜ。
「そんな男がいいの?」
「うん。ゴローがいい。双葉はゴローと一緒にいたい」
 何のためらいもなく双葉は満面の笑みでこたえる。
 おい、おい、おい! 俺の中の悪い虫が騒ぎだしたぞ!
俺の中の回虫が、三葉虫が、二化螟虫が、虫虫たちが騒ぎだしたぞ!
 頼むから治まってくれ、俺の惚れ虫よ……なんて願いをまったく知らない双葉はがっし
り組んだ腕にすがるようにして
「双葉はずっと待ってたんだよ! 土ん中でずーと、ずーと誰かにこうやって手握っても
らうの待ってたんだよ! やっと土ん中から出てきて、そんで初めて手握ってくれたのは
ゴローだけだったんだよ!」
 あの列車事故の時。たしかに俺は双葉の手を握った。爆発に巻き込まれた双葉を救いた
い一心で彼女に呼びかけるように。
 がっちりと組んだ手を放そうとしない双葉を見て安延さんは腰に手をあて困ったように
ため息をつく。
「特例なんて作りたくないんだけどねえ……仕方ないか……」
 ななな、なんと安延さんからオーケーがでただと?
「そ、そんな!」
「五郎の部屋に、双葉ちゃんが!」
 賢三と八幡先輩は発狂せんばかりの勢いで安延さんに物申す。
「い、いくら五郎さんとはいえ、寮の決まりがあります!」
「五郎は高二だぞ! 盛りのついた猿まっ盛りじゃないか!」
「双葉ちゃんが危険です!」
「こんな猿と二人っきりになんかさせるわけにいかないでしょう!」
 交互に連携の取れた言い分に、安延さんも困り顔だ。俺だって何も言えんさ。
 そこへ机をバンっと叩く音が響き渡る。一同が思わず開いた口を噤みその方向を注視す
る。
君子だった。
「わかったわよ。あたしも一緒に付き添うからそれで文句ないでしょ」
 八幡先輩と賢三が白目をむいて咆哮した。
 安延さんは……にやにやと笑いながら、「困ったもんだ」と一言添えて自室に消えてし
まった。
 双葉を挟んで俺と君子が三人川の字で寝ている。八幡先輩や賢三は散々恨みごとを言っ
たり、うらやましがったりしていたが、実際この状況にいたらそれほど羨ましがられるほ
どのもんじゃないぞ。むしろ気づまりだ。
 結局双葉はまだ俺の手を握ったままだ。もう寝てしまっただろうか?
「なあ、双葉?」
「……なんだ?」
 眠たげに胡乱になりながら返答してくる。
「さっき土ん中にいた、って言ってたのは、あれはどういうことだ?」
「……双葉は……土ん中にいたんだ……ずっと、ずっと土の中で……誰かが来るのを待っ
てたんだ……ずっと一人だったんだ……そんで……土の外に出てきて……ゴローが初めて
……手………握ってくれたんだ……」
 俺にはどういうことかわからない。ただ双葉がただの人間じゃない事を加味すれば、そ
の事にすら信憑性が出てくる。
「……双葉は……ずっと、ずっと……誰かに手を握ってほしいって……思ってたんだ。た
ぶん……とおい、とおい昔っから。だから双葉は……ゴローと………一緒にいたいんだ…
……」
 静まり返った室内の中で衣擦れの音がする。ちょうど双葉を挟んで反対側。君子だろう

「五郎だけじゃ頼りないわよ。バカなんだもん」
 憎まれ口をたたく君子は……たぶん双葉の手を握ってやったんだろう。双葉が彼女の方
を向く。
「……君子」
「なによ」
「……ありがとう」
「…………」
 君子は目をそらしたままムスッと口を噤む。
「……君子……ゴロー……おやすみ」
「ああ、おやすみ」
双葉は二人に手を繋がれたまま眠りへ落ちて行った。
 俺か? 俺は眠れるわけねえじゃん。手汗とか気になって、心臓はバクバクさ。ああ、
情けねえなあ。この状況を喜ぶことができるほど俺は大人じゃねえってこと。
 双葉が寝息を立て始めてからしばらくしてからのこと。俺の頭は同じことの堂々巡りを
慣行していて、とてもじゃないが安眠は不可能と諦めかけていた頃。
「ねえ」
 君子の囁くように小さな声が聞こえた。
「寝ちゃった?」
「……起きてるよ」
 ふと横目に君子を盗み見るとあいつは天井を見上げたまあぼんやりと目を開けていた。
「さっきの話しだけどさあ」
 さっきとはいつのことだろう。見当がつかなかった俺が黙っていると君子は息をのんで
から話し出す。
「あんたさあ、去年のこと覚えてる?」
 去年の事ってなんだよ。いろいろあったぞ。
「入学して一週間で」
「はいはいはいはい! 憶えてます!」
 皆まで言うな! 顔を覆いたくなる! ぼこぼこにされて、返り討ちにされて、人には
言えない恥の上塗り。さっきの話ってその話しだったのね!
「あんた本当に命知らずよね」
「ああ、わかってるよ」
「……わかってないわよ。どういうつもりで、ああいうこと言うかなあ」
 どういうって……仕方ねえだろ。
「あんたあたしのこと全然知らなかったじゃない」
「そんなことねえよ」
 全然じゃねえと思うけどな。そりゃその都度発見はあるとしても。
「あたしんちの事、知らなかったでしょ」
 それは事実だ。知ったのは昨日の今日である。
「……あたし学校でみんなから影でなんて言われてるか知ってる?」
 おもむろに話し出した君子の話題が今までの話しとどうつながるのかわからず、俺は君
子の方に目を移す。
 学校でみんながなんて言ってるか?
 そんなこと俺が知るわけがない。番長ポジションについてしまった俺にそんな情報を提
供してくれる人間ないんていない。なんも知らない俺は無言で首を横に振る。
「……ヤクザの娘だよ。そのまんま。小学校、中学校は仕方ないと思ってたけどね、高校
ではそれも隠し通せるかなって思ってたんだ」
 天井に向けた君子の眼が月明かりに反射して少し潤んで見えたのは暗いせいだろうか?
「言葉使いも丁寧にして、身ぶり素振りもお嬢様らしくして……って思ってたけど、結局
入学式には既にばれてたの。まあ仕方ないんだけどね。同じ中学の子がいたから、そんな
情報、速攻で回るわけ」
 ふうん。そうだったのか。俺は知らなかったけどな。
「……んでさ、みんな表面的にはそこそこ仲よくしてくれるけどさ、でも一緒に遊びにな
んて絶対に行ってくれない。買い物にだって、食事にだって行ってくれない。そりゃそう
よ。みんな将来があるんだもの。あんたと違って、みんな大丸学園で誰と交友関係を深め
ておくのかで自分の家や会社の格が決まっちゃうの。ここはそういう学校なの。知ってた
?」
「知らん。っつーか、そんな学校だったのか? うちって?」
「馬鹿だねえ。救いようがないくらいバカだね」
 と言いながら君子はくすぐったそうに笑う。
「ただの進学校の訳ないじゃん。政治の道具なんだよ、子供って」
「悪いが、俺んちは政治的な一家じゃないからな。子供はただの労働力だ」
 この国に階級制度があるわけじゃない。でも現実はそうはいかない。下層階級とも言え
る地方の漁村の子供ってのは、村の中ではただの無賃金で働く労働力以外の何物でもない
。そう、君子たちを含めた上流階級がみんな政治のための道具として生きるのと同じよう
に、俺たちだってただの道具なのだ。
「子供に人権があるなんて言うのはさ、なんか別世界の話しみたいだよね」
 俺はただ頷く。
「人権なんて、人からもらうもんじゃねえだろ。自分で何とか頭ひねって獲得して行くも
んだろ」
 どんなに国が保証してくれたって、個人の範囲まで口を出してくれるわけない。自分の
位置は自分で作んなきゃ、誰も助けちゃくれねえんだ。
「たまにはいいこと言うじゃん」
 なにおまえ? バカにしてんの?
「……ねえ、あんた恐くないの? あたしんちとか、松岡とか」
「とび職なんだろ?」
 俺がそう言うと君子はやはりくすぐったそうに笑った。
「顔はおっかねえけど、みんないい人だったぞ。松岡さんなんか大人だしよ」
「だよね」
 月明かりの下で君子は目を細めて無邪気に笑う。
 おいおいおい、こんなかわいい顔する君子、久しぶりに見たぞ。お嬢様ぶりっこの笑い
じゃなく、無垢で清廉で清々しいくらいに透明な笑顔。やっぱ自分の家の者褒められるの
はうれしいもんかねえ。
「おまえさあ、いつもそうやって笑ってろよ。そしたら案外、あっさり友達できるぞ」

「うっさい、生意気」
 こいつ……。
「五郎、これだけは言っておくからね」
「なんだよ」
「……浮気者」
 はあ? なんで? なにをどう判断してそうなるの?
 そもそも、俺には彼女だっていねえんだし他に意中の人がいるとでも思っているんだろ
うか? 二股疑惑を掛けられた俺は、とても遺憾な気持ちになるわけだ。
「……おまえ、なんでそういうことになるんだよ?」
「馬鹿じゃないの? 死ねばいいのに」
 はい、また殺された。なに? 軽々しく人に死ねなんて言うもんじゃありません!
 しかしだ。君子が俺に浮気者というからには、そういう勘違いされる相手が最近いたん
だろうなあ。俺誰か最近女の子と話したっけ? せいぜい学校じゃ、用がある時にだけお
っかなびっくりプリントをクラスの女子が持ってきたりする程度。でなけりゃ、寮に帰っ
てきてから、安延さんと話すくらい。
 ……をを! たった今気がついたが、なんて女の子率の低い高校生活!
 最近、君子と双葉に囲まれて賢三たちにえらく羨ましがられていたからまったく気が付
いていなかったが、なんて貧相な青春してんだ。
 とんでもないことに気がついちまった俺が悶々己の青春を自戒していると
「私けっこう心が広いから、今回はある程度まで許してやるわよ」
許すって……なんでお前に許可とんなきゃいけないんだよ。やはり奴隷だからですか?

「でも双葉に変なことしようとしたらぶっ飛ばすからね!」
「だからなんでお前が俺をぶっ飛ばすんだ?」
「そんなん決まってるじゃない。あんたは……」
 そこまで言うと君子は一瞬ハッとしてから、死ね、と一言吐き捨てて寝てしまった。

 ああ、よくわからん。
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