第二章 追跡者は眠らない D


ぐるぐる巻きにされた男を寮内に運び込む。光の元で顔を見て俺と君子がビックリする。
「こいつは……」
 そう、今日の昼間の喫茶店で本を読んで目に涙をためていた会社員。
「やっぱり尾行されていたんだ」
 異常な事態に気がついて安延さんがキッチンから飛び出してくる。
「何やってんの?」
 手短に事情を話すと、安延さんはため息をつく。
「あんまり危ない事はしないでよ。こっちだって親御さんからあんたたち預かってる身な
んだからね」
 もっともな安延さんの言葉に俺達は、すいませんと頭を下げるしかない。
「じゃあ、ちょっと目覚ましてもらおっか」
 君子はそういうと会社員風の男に二、三発ビンタを食らわす。すぐに意識を取り戻した
男は自分のおかれている状況を理解して、舌打ちをした。
「さあ、あんた何もんなの? 正直に白状しなさい」
 ああ、ああ、楽しそうだよ。君子がありえない笑顔を浮かべているよ。
「…………」
 男は何もこたえる気がないらしく、君子から目を逸らす。
 君子はポキポキと指を鳴らして臨戦態勢に入る。
「君ちゃん、たぶんそいつは暴力とかで白状する人間じゃないですよ」
 賢三が何か手帳のようなものを見ながら言う。
「えー、垣崎良太、四十五歳。警視庁公安部所属……ですって」
「ちょっとまて、その手帳って……」
「警察手帳みたいです」
 いつの間に賢三はそんなもの盗み出したんだ。
「なんだ、こうあんぶって?」
 俺の質問に賢三もあごに手をあて戸惑う
「説明するのは難しいですね」
 俺は警察についての知識は少ない。公安って交通安全課の略か?
「俺は解らんぞ」
 八幡先輩は困った顔をして首を横に振る。
 大丈夫です。八幡先輩には期待していません。
俺は君子を見る。彼女はちょっと嫌そうな顔をして
「ちょっと、別に詳しくないからね」
 と言って誰よりも詳しい説明をしてくれる。
「公安は破壊活動防止法に従って動いてる秘密組織みたいなもんよ。警察庁のほかの課は
公安が何をしているか知らせてもらえないらしいけど、彼らがやっているのは要するに政
治運動家が徒党を組んで暴れだしたりテロ行為をしないか見張ってるってだけよ」
「さすがはヤクザの娘だな」
 垣崎という男はそこで始めて君子に向かって口を開いた。
「ちょっと勘違いしないでよね。うちのはみんな鳶職です!」
 なーんだそうか、鳶職かあの人たちかあ。じゃあ、怖がる必要ないね……とは思えない
。絶対に。
「街宣カーで市民から騒音被害が出ていると言って逮捕することもできるんだ」
「残念ながらうちはそういう事はしませんから」
「どちらにしたって公安敵にまわす行為だ。タダですむと思うな」
 垣崎という公安警察の男は自分のおかれている状況を全く気にかける様子もなく、強気
の姿勢を貫いている。まあ、高校生にできることなんて高が知れてる。嘗められるのも仕
方ないか。だがしかし、俺は聞いておかなければならないだろう。
「なんでもいいけどさあ、垣崎さん。なんで公安警察が俺達みたいななんでもない高校生
を監視しているわけ?」
 垣崎は舌打ちをして俺を睨む。
「口の利き方をしらねえのか? 最近のガキは」
「俺はあんたに殺されかけたんだ。口の利き方くらい目を瞑ってくれてもいいでしょう」
「口の利き方なのに目を瞑るんかい?」
 と垣崎は俺を馬鹿にしたようにゲラゲラと笑う。
「じゃあ、耳を塞いでください」
「だったらおまえの話も聞こえねえよ」
 イラッと来るおっさんだ。と俺なんかが思うと同時に手が出ていた。もちろん俺の手じ
ゃない。
「グダグダ言ってんじゃないわよ! 自分の立場理解しなさいよ! バラバラにして海に
沈めるわよ!」
 君子だった。
 垣崎の襟元を掴んで捻りあげた君子の咆哮に一同が静まり返る。
「いい、聞くのはあたしたち! 答えるのはあんた! わかった!?」
 君子の呻りあげる肉食獣の雄叫びにも全く怯む様子を見せず無言でかえす垣崎。さすが
は公安警察。簡単に情報を公開してくれるほど、相手も優しくはない。むしろ竦みあがっ
ているのは賢三と八幡先輩の方だ。
 俺か? まさか。こんなことくらい日常茶飯事さ。腰を抜かしたりするわけないだろ。
膝がちょっと笑っているだけさ。
「あんた、公安警察のフリして本当は犬養とかいう奴の仲間なんじゃないの?」
 まくし立てる君子の言葉の中に、『犬養』の文字が出た瞬間、明らかに垣崎の顔が変化
した。まさか、本当に犬養とかの仲間なのか? いや、それとも犬養とか双葉について何
か知っているのかもしれない。
「なあ、あんた犬養ってしってるのか?」
 おれも笑う膝に力を入れ踏ん張って聞いてみる。
「……………」
 やはり口はかなり堅い。
 双葉はといえば、まったく興味など示さず調理場の中に入ったりして遊んでいる。あの
なあ、おまえが襲われそうになってんだぞ。自覚ないのか?
「どうする? 警察に問い合わせてみる? こいつ本当に公安かどうかすら怪しいもん」
 確かに君子の言うことにも一理ある。
「警察手帳は偽造ってことか」
 君子も頷く。全員の顔を順に確認していくとみな異議はないように見える。俺は食堂に
ある電話の前まで歩いていって十円玉を取り出し受話器を上げる。
「まてっ!」
 制止したのは……垣崎良太だった。呆気にとられて全員が垣崎の顔を見る。
「……くそっ。めんどくせえ。公安の捜査状況を外部に漏らすんじゃねえ」
「警察に話すんだよ。あんたの仲間だろう? 垣崎さんが本当に公安警察なら」
「俺は公安部だ。それは嘘じゃねえ。だが公安の捜査内容は本庁の刑事課連中にも漏らす
わけには行かない。それくらい知ってるだろう」
 嘘を言っているようには見えない。おそらく本当なのだろうと全員が思った。
「なら協力してください。俺達は双葉が何者でどこから来たのかすら知らない。あんた知
ってるんでしょう?」
 俺は言葉が震えないように垣崎に聞き返したが垣崎は顔色一つ変えない。
「……その双葉ってのは公安でも情報は掴んじゃいねえ。しかし、松原駅爆破事件の容疑
者であり、警官路上襲撃事件においても重要参考人だ」
 警官路上襲撃事件というのは、喫茶店で見た新聞に載っていたあの事件か? それに松
原駅爆破は双葉の仕業だって?
「どういうことでしょう?」
「それを聞くために俺はそいつを付回した」
 そいつと呼ばれた本人は台所で夏みかんを食っている。自分にそんな嫌疑がかかってい
るなんていざ知らず。
「話してください。協力できる事なら協力します。状況によってはあなたを解放します」
 しばし俺と垣崎さんのにらみ合いが続く。垣崎さんは目を離そうとせずにそのまま呟く
ように
「……いいだろう。話してやる。その代わり協力してもらうぞ」
 公安部は一般市民を手なずけて使うという話を聞いた事がある。最初は警察ではないよ
うな素振りで近づき、友好を深め、又は恋人関係になり、相手の弱みを握ると、掌を返し
たように、それこそ相手の人権なんて認めないほどに使役する。場合によっては労働闘争
や政治結社のセクトの中にスパイとして送り込んだりする、という話を以前雑誌で見た事
を思い出した。
「協力するかは俺達で決めます」
 垣崎は鼻で笑うと俺の言いぶんを無視して話を始める。
「犬養という名前には行き着いているようだな。誰から聞いた」
「誰でもいいでしょう」
 君子は突き放しにかかる。双葉から聞いたとは決して言わない。双葉の立場を悪くした
くないのは、俺も君子も一緒だ。垣崎はこれ見よがしに舌打ちをするが表情は変わらず余
裕を保っている。
「犬養って誰なの?」
「犬養幹比呂。大赤色革命軍の総指揮をする人間で年齢は二十八。武力闘争によって帝国
主義壊滅を謳う、言ってみれば学生闘争連中の親玉だよ。聞いた事ないのか?」
 俺は首を横に振る。
「新聞くらい読め。これだから最近のガキは……」
「新聞とる余裕があったら生活にあてます」
 切実な問題だ。俺は学費をどう返すかだってめどの立たない一高校生なのだ。そりゃ出
来れば新聞だって読みたい。時間さえあれば図書館にだっていくさ。
 意外な事を聞いたかのように垣崎は一瞬目をそらし、それから話しを続ける。
「……ふん、まあいい。犬養幹比呂は先日の列車爆発テロに深く関与している。そして、
そこにいる双葉という娘はその実行犯の容疑がかかっている」
 全員に衝撃が走る。
 でも俺だけはなんとなく、薄々は感じ取っていた。そうなんじゃないか……と。
「なあ、垣崎さん」
 嫌そうな顔をして垣崎がこっちを見る。俺は気押されない。負けちゃいけないところだ

「実行犯っていうからにはさ、双葉が爆弾抱えていたってことだろう?」
「ああ、そう言うことになる」
「それっておかしいだろ? だって、爆弾抱えているやつが今ここに生きていられるわけ
ないじゃないか」
 俺の言い分は絶対に正しいはずだ。
「……ふん」
 垣崎はいかにも嫌そうな顔をして言葉を探している。そう、たぶん警察の人間が認める
ことができない内容だからだろう。双葉が爆弾を抱えていて、なお生きていたということ
。それはつまり、双葉は死なない身体、ということになる。そんな科学的じゃないこと警
察が認められるわけがない。
 俺たちの眼を避けるように垣崎は一人言でも言いだすかのように語り始めた。
「……先日の警察官路上襲撃事件についてはどこまで?」
 この間、喫茶店で読んだ新聞に書いてあった。だから俺は知っている、と言うように一
回頷き返す。
 発砲された警察官の銃弾は、強奪犯と……それから通りすがりの女性に当たったと書い
てあった。
「犯人の目星はついている。大赤色革命軍の幹部二人の犯行だ。足取りは掴んでいない。
しかしその時に撃たれた女性の容貌が、そこにいる娘とほぼ一致している」
 まさかと思った。
 いや、たしかに撃たれた女性はその後発見されていない。近くの病院でもそういった患
者は来院していないという。という事は、やはり双葉、お前なのか?
 双葉は勝手に冷蔵庫を開けて、夕食の残りのアジフライを無邪気に摘まんでいる。こん
な話には興味はないとばかりに、食べ物に夢中で時折こっちを見ては
「ゴロー、おいしいぞー。食べる?」
 などとこっちの気も知らずに楽しそうに笑っている。
「なあ、垣崎さん」
 睨み脅しつけるように垣崎がぎょろっとこちらを見据える。負けねえぞ!
「たぶん双葉が犬養と接触したのは事実だと思う。その上で爆弾を担がされたのも事実だ
と思う。でも、それはたぶん利用されただけだ。拳銃に撃たれても平気な双葉を見て、犬
養が立てた作戦なんだと思う。だから……」
「だからなんだ? それでもあの娘が犯罪にかかわっていたことには変わらない。利用さ
れていた? そんなことは知らん。俺は犯罪者を逮捕できればいいんだ」
 やべえ、恐ええ……負けそうだ。
「ちょっと待ちなさいよ!」
 君子だ。爬虫類のように睨みつける垣崎に、君子が肉食獣の眼光を光らせる。
「逮捕できればいいのね?」
「ああ、もちろんだ」
「だったら、もう少しあたしたちを放っておきなさいよ」
 垣崎は微動だにしない。君子は依然ハブに食いつく前のマングース状態。
「いい? どっちにしたって、あんたたちが双葉連れてったら、ずっと塀の中に閉じ込め
ておく気でしょ? だったらあたしたちと一緒に今まで通り行動していればその大赤色革
命軍だって双葉を取り戻しにかかって来るわ。現に一回そうしようと病院まで身分を偽っ
てやってきたんだから」
 同意を求めるよう君子はこちらを見る。俺は「そうだ」という代わりに頷いて見せる。
「……それは本当か?」
 いぶかしんでいるようだ。嘘ついたってしょうがねえだろ。
「本当だよ。双葉の親だって言ってあの事故の後、俺んとこまで来た。追っ払っちまった
けど」
 それを聞いた垣崎は何かを考えるように黙った。
「あんたたちはその学生闘争の連中に見つからないように、あたしたちに張ってなさいよ
。そうすれば、いずれ犬養だってその幹部連中だって出て来るでしょうよ」
 しばらく垣崎は黙考していた。俺たちは返答を待たなければいけない。
「……わかった。いいだろう」
 依然眼光鋭いまま。縛られているにも拘らず俺たちを睥睨する。ガキの判断にこの大人
はどうやら乗ってくれると、そういうことのようだ。
 俺は賢三に向き直り縄を解くようにと言うと、おっかなびっくりしながら垣崎を縛る縄
を解いていく。垣崎は身じろぎもせずに解き終わるまでじっとしていた。もし抵抗しても
八幡先輩がすぐさま檄鉄パンチをくれてやろうという態勢で身構えている。さすがにガキ
のパンチだって、八幡先輩の筋肉量を考えたら直撃だけは避けたい。そのへんこのおっさ
んだってわかってるだろ?
「……しばらくお前たちを監視する。いいな」
「ああ、いいわよ。ついでに双葉の無罪だって証明してやるわ!」
 ああ、この二人絶対に沖縄に行くべきだ。沖縄観光協会のためにも。
 垣崎はそれ以上、何も言わず寮を出て行ってしまった。
やっと一息ついて寮母さんの安延さんは食堂の椅子に腰を下ろす。
「はあ、あんたたちにはヒヤヒヤさせられるわ」
「すいませんでした」
 俺はさすがに平謝りするしかないだろう。その根源的原因である双葉は相変わらず残り
ものに夢中のようだ。
「ゴロー、ゴロー! 食べるか? これおいしいぞ!」
 おまえ、人参を生のまま食べるな。
 俺はため息しか出ない。君子はと言えば、やはり肉食獣もつかれたのだろう。椅子に深
く坐ってぼんやりとしている。相変わらず元気そうなのは賢三と八幡先輩くらいのもんだ
。目をギラギラさせて、先ほどの興奮冷めやらぬとばかりに
「いやあ、公安に対抗するための新しい護身グッズを考案しなければ」
「筋トレだ! 筋トレ! 警察くらいに負けてたまるか」
 と勝手な話に盛り上がっていた。
 時計を見ればもう十時を過ぎている。さてどうしようか。双葉はまだまだ遊んでいたそ
うだが、明日もいろいろ動きまわらなければならないだろう。とりあえず今日はいろいろ
ありすぎた。一回寝た方がいいかもしれない。どうにも頭の回転が鈍っている気がしてな
らない。君子も俺も疲労困憊だ。
「おい、双葉」
「なんだ、ゴロー?」
「とりあえず、今日は寝る。明日の事は、明日考える。いいな」
「おう、いいぞ!」
「よし、じゃあ安延さん。お願いします」
 安延さんは、はいはいと双葉を連れて行こうとしたのだが
「やだっ!」
 おいおい、待て待て。何が嫌なんだよ双葉。
「やだっ、ゴローと一緒がいい!」
 おい! こら待て!
 あせる俺の真後ろで二つの殺気が増大していく。
「ほう、五郎先輩は双葉ちゃんに気に入られてるんですね……」
「け、賢三……」
「ああ、そのようだな」
「八幡先輩……」
なんて目で俺を見てるんですか……。
「ちょっと、最新の護身グッズ試してみたいなあ」
「ああ、俺も同じこと考えていたよ。最新のサンドバックが欲しかったんだ」
 いやいや全然同じことなんか考えてないじゃないですか、二人とも!
「まあ、賢三も八幡先輩も落ち着いて下さい! 俺は別に何にも……」
「あたし、ゴローと一緒に寝る!」
 キャー! 双葉あああ! このタイミングでやめてぇぇぇ!
 がっしり俺の腕を掴んでくれちゃう双葉。ああ、素直によろこべねえよ。
「ああそう、ああそう……わかった、わかった」
 三つ目の殺気が加わる。ええ、そうです。君子お嬢様です。
「このスケベはいつの間に双葉をそこまでたらしこんだのかしらねえ。信じらんないわ」
「いや、君子。俺はそんなことはしていない。するつもりもない!」
「へえ、でもがっしり腕組んじゃって、鼻の下ベンベロリンと伸ばして」
 ベンベロリンってなんだよ……なんてつっこんだら殺されそうな雰囲気。
 冗談なんて受け入れられない感じ……。
「どうした? ゴローは君子と仲悪いのか?」
 双葉さん、今は仲が悪いとかそういうことではないんですよ。わかってぇっ!
「こら、君子! ゴローは双葉と結婚するんだぞ! 君子にはあげないからね!」
 うわーっ!な、な、なんてことをっ!
「「「ぎじゃああああ!ごのおおおぎんげんごおおぐざああああ!!」」」
 三人の不協和音を通訳すると「貴様、この人間の屑」ということだろう。
 もうどうにでもして。俺にはこの場を収められる自信はないよ。
inserted by FC2 system