第二章 追跡者は眠らない C


賢三の部屋のドアを開けると室内は何の装置なのかわからない機器やら配線で埋め尽くさ
れていた。
「やあ、五郎さんいらっしゃい」
 賢三は俺達を迎えると、座る位置を指定してくる。
 俺たちは指定された通りに順次その場に座って行く。
「うっかり必要な配線を踏まれたりしたらたいへんですからね。では説明させてもらいま
す。今、外には百五十個の音波発信機が取り付けられています」
「おんぱはっしんきってなんだ?」
 この時ばかりは双葉の質問に皆同意するように賢三を見た。
「はい、人間の耳には聞き取れない高周波を発する小型の装置です。発信された音波は壁
や近くの障害物に当たって跳ね返り、跳ね返ってきた音波を再び受信します。今の受信レ
ベルをゼロとして、そこに今までにない障害物が進入すると受信レベルが変わります。受
信レベルがかわるとこの機械に逐一データが送られてきます」
 雑貨店のレシートの機械のようなものがそこにあり、先っちょから紙がピロっと顔を覗
かせていた。
 つまりこの装置に侵入者が引っかかればそこを抑えればいいのだ。
 一同が感嘆し手を叩く。得意そうに賢三は鼻を高くする。今日は鼻を高くしていいぞ。
「んで、誰かが引っかかったら、俺の出番だな」
 力瘤をムキッと隆起させて八幡先輩が意気込む。
「皆さんよろしくお願いします」
 俺だってちゃんとお願いするときは頭を下げるさ。
「じゃあ、内容を説明する」
 俺は寮周辺の地図を広げる。
「君子、赤鉛筆貸してくれ」
「はいはい」
 筆箱から君子は先日買った招き猫つきの赤鉛筆を出す。俺は寮周辺の地図に赤く線を引
いていく。
「双葉はこの寮の周りのルートを一人で歩く」
「はーい!」
「気をつけるんだぞ。俺達と君子はどこにでも最短距離でいける寮の広場で待機。八幡先
輩と賢三は部屋で双葉に接触してくる影を追っていてくれ。双葉にそいつが近づいてきた
ら、八幡先輩がダッシュ、のち俺達にリレーしてください」
 全員の作戦内容を確認し、皆が持ち場に着く。
「じゃあねぇ」
 双葉は気楽な調子で出て行く。あのなあ、狙われてんのはお前なんだからな。
 ここの周りをゆっくり一週するには十五分弱かかる。何かあれば、俺と君子が用意した
梯子で壁を駆け上がり、双葉を助け、そして双葉を狙っているやつをとっ捕まえるって訳
だ。さてうまくいくだろうか?
 俺と君子は梯子を持って寮の前の広場で待機している。蒸し暑い夜だ。
「ほんと、あんた懲りないわね」
 突然君子は何かを思い出したように呟く。
「なんだよ」
「…………………」
 話し振っといて沈黙ってなんだ、おまえ? 俺が何かともう一度、聞き返そうと口を開
こうとすると先に君子の方が口火を切った。
「……惚れたでしょ」
「なっ!」
 俺は焦る。いや、脳内が一瞬停止していた。戻って来い、俺!
「そんなことあるか、お前に何が解る」
「わかるわよ。わかりすぎてお腹抱えて笑っちゃうわよ。あはははははは」
 棒読みで笑われても………。
「もし惚れてたって、お前にゃ関係ねえ」
「関係あるわよ!」
「どこが関係あるんだ?」
「あんた一年前にあたしになんて言ったかわかってんの?」
 わかってる、わかってる。俺は惚れっぽい性格のわりに告白したのは君子がはじめてだ
。そりゃあぎこちなく見苦しかったに違いない。
「憶えてるよ。忘れられるわけねえだろ。その後おまえに手ひどく振られたんだからよ」
「……え?」
「まったく、全治三ヶ月なんて振られ方があるなんて思ってもみなかった」
「ねえ、ちょっと……」
「なんだよ?」
 その時、館内から駆け下りてくる怒涛の足音。八幡先輩に間違いない。
「南南西、大沢橋のところだ!」
 オリンピック出場レベルの走りを見せた八幡先輩は、そう言うとその場に倒れた。俺と
君子はすぐさまその方向に梯子を掛け登る。壁から顔を出すと橋の袂で双葉の手を掴む男
がいた。
 まずい。
 俺はすぐさま壁から飛び降りて双葉の元へ向かい、その後を君子が追いかけてくる。

「まてこの野郎!」
 声に驚き逃走しようとする男の腕を掴む。――が、その男は想像以上の力で俺を投げ飛
ばす。なにもんだこいつ……。
 すぐさまその後ろから君子の正拳突きが炸裂するが、ほんの僅かに身体をずらす。ヒッ
トするものの急所に当たるのを避ける。
「やばい、こいつ強い」
 君子が言うも、その隙に男は長身から放つ蹴りで君子を捕らえようとする。
「あぶねえ!」
 君子を庇おうと飛び込んだ俺の脇腹に深々と男の踵が食い込み呼吸が止まる。頭は真っ
白。意識は飛びそう。もうどうにもならねえ。このままじゃ双葉が……。
「ゴロー!」
 双葉が俺に触れる。
「わりい、相手の強さを見誤った……」
 やっとそれだけ言う。
 …………あれ? なんだこれ? 痛みを感じねえ。どういうことだ?
「おまえら、大丈夫か?」
 そこで八幡先輩が梯子を伝って壁を乗り越えてきた。男は舌打ちするが君子が逃がすま
いと次の一撃を加える。やはり急所に当たらないように身体をひねった。……が何発も食
らえばダメージも蓄積される。
 男は少々足元をふらつかせた。すぐに元通りの姿勢に戻って君子に同じ蹴りを加えよう
とする。咄嗟に紙一重で君子が避け、そこへ八幡先輩が覆いかぶさるように飛びつく。

 俺の身体は痛みを訴えるどころか、元通りにあっという間に回復し、すぐさま八幡先輩
に加勢するために飛びつく。
しかしたった一人の男相手にもかかわらず、腕力も技も桁外れで、俺も八幡先輩もぶんぶ
んと振り回され、耐えかねた俺が手を離してしまった。
 勢いをつけられて吹き飛ばされた俺は双葉にぶつかり、ドミノ倒しのように双葉が5メ
ートルはある橋の上から落ちそうになる。瞬間俺は彼女の手を握る。
……が、だめだ。
体力がもう残ってないし、それほど腕力があるわけじゃない。少しずつ双葉と俺の掌の接
点が減っていく。
 仕方ねえよな。双葉だけ落とすわけにゃいかねえもんなあ。
 そう思った時には俺はもう橋の袂から飛んでいた。
 ゆっくりと水面が近づいて来るのが目に映る。ここの川は水深が浅い。十センチほどの
水の下はヘドロ一つない固いコンクリートだけがある。
俺は双葉を抱きしめて体を下にする。短かったなあ、と思うだけの余裕がまだ俺の中にあ
った。
 グシャという音が聞こえたような感じがしたが、それが俺の身体のどの部分かはわから
ない。
「五郎!」
 君子の声だ。まだ死んでいないのだろうか? それとも彼女の声を聞いているのは魂の
ほうなのだろうか?
 双葉は無事だろうか? ちゃんとクッションの変わりに俺はなったのだろうか?
「ゴロー、ゴロー!」
 双葉の声。よかった。彼女は無事だ。
 ゆっくり息をはく。
「………………」
 ………息をはく?
 目を開けた。はるか5メートル上空には君子の顔が見える。横には俺に抱きついたまま
の双葉の姿がある。なに?どうなってる?
「双葉、大丈夫か?」
「大丈夫だ。ゴローは大丈夫か?」
 そう言われて身体を起こす。
………起き上がれる。身体に痛みはない。あのグシャ、という感覚。あれはなんだったん
だ? 身体のあちこちを撫で回すが、どこにも傷も痛みもない。
 これじゃあの列車事故のときと一緒だ。どうなってるんだ?
「どうやら大丈夫そうだ」
「そうか、良かった」
 そういうと双葉はもう一度俺に抱きついてくる。俺は何のことやらわからず、ポカンと
していた。
近くに上り下り専用の固定された足場があったので、そこから上へ登っていく。道路まで
たどり着くと道路には縄でグルグル巻にされている男が寝そべっていた。
「ばか! なに勝手なことしてんのよ!」
 君子が目に涙を浮かべて俺の胸ぐらを掴んでねじり上げる。
 心配をかけたことは言うまでもない。反省の念が浮かぶ。
「いや、悪かった」
「勝手に死んだら殺すからね!」
 どっちだ?
「やっぱりゴローと一緒にいる。双葉、ゴローと結婚する!」
 双葉は俺の背中に抱きついてくる。
「なんだ、どういうことだ? おかしいじゃないか。なぜ五郎と双葉ちゃんが結婚する事
になってるんだ?」
 八幡先輩は頭を抱えてうなだれる。
「いっぱい食わされましたね、五郎さんに」
 そこには賢三の姿もある。
「なあ、どうやって捕まえたんだ?」
「これですよ」
 賢三は懐から細長い駄菓子の箱のようなものを出す。
「なんだそりゃ?」
「高圧電流を流す装置です。護身用に作って置いたんです。役に立ってよかったです」

 そんなもの護身用に持っていていいのか?
「死んでないよな」
「大丈夫です。火傷くらいはしていると思いますが、気を失っているだけです」
 まったく恐ろしいものを作っている。敵に廻したくないな。
「それよりも、あんたはどうなのよ? てっきり死んじゃったかと思ったわよ」
 いや君子のその意見にはおれ自身も同感なのだが……。
「俺だってそう思ったんだが、なぜか傷一つ残っていない」
 さすがに無傷というのには全員が驚き、首を捻った。
 俺も頭をかきながら首を捻った。
 ……が、しかし、なんという事か。頭を掻いた手のひらを見て俺は驚いた。なんと手に
はおびただしい血液が付着しているじゃないか。
一同がその場で騒然となる。まさかあのグシャ、という感覚は頭だったのかと思い、もう
一度触れてみるがやはり傷はどこにもない。どこから出た血液なのかさっぱり解らずじま
いだった。
一応双葉も調べてみたが、こいつもどこにも怪我がない。
「ねえ、もしかして双葉って……」
 君子が口を押さえながら言うのをためらっている。
そらためらうさ。俺だって言うべきか困っていた所だ。だから俺も「ああ」とだけ言って
口をつぐんだ。
 だってそうとしか考えられない。列車事故の時も、そして今も。俺は死んでもおかしく
なかったんだ。死んでいなくったって、こんなピンピンしていられるはずがない。でもこ
うして歩いている。平気なんだ。それは俺が人間離れした自然治癒力を持っているという
わけではない。だったら一年前に君子にボコボコにされたくらいで全治三ヶ月もかかるわ
けがないのだから。
だとしたら原因は双葉、やっぱりお前なんだろ。あの時も、今も双葉がいた。そう考えて
導き出されるのは……双葉は人間ではない、ということ。
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