第二章 追跡者は眠らない @


 次の日、一学期の終業式を休み俺は双葉に付きっ切りになる事にした。どちらにしたっ
て昨日の爆破事故で鉄道が動いていないんだ。どこにもいけるわけはない。それになんも
解らないままで、双葉をいつまでも安延さんの所においておくわけにも行かない。
「君子、お前は学校行くだろ」
「行かないわよ」
 なぜに?
「双葉と二人っきりにしたら、あんたこの娘になにするかわかんないでしょ」
「おまえ、俺がそんなことするわけ……」
「入学して一週間で……」
「わかった! お前の言うとおりだ! 一緒に三人で行動しよう!」
 どうやらこの一件に興味を持ってしまったらしい。困ったもんだ。俺は食堂にある電話
機で学校に電話をかけると、どうやら昨日の事件の事があって休校になったと告げられた
。まあ、そうだよな。
「なあ、ゴロー」
 双葉が俺の袖を引っ張る。
「なんだ?」
「ゴローの部屋にはエロ本が隠されてるのか?」
 ちょっとまて! どこからそんな情報を!
 物陰から安延さんの不敵な笑顔が覗き、去っていった。
 そうだよな。あの人しか考えられないよな……。
「エロ本を使ってゴローは何をするんだ?」
「まて、それを俺に聞くのか?」
「答えてあげたらいいじゃないの? 天井裏にあるんでしょ。先輩から貰ったやつが」

 場所までばれてるぅ!
「いいか、俺はだな、健全な高校生というだけであってだな、むしろそういったものに興
味が無いという方が不健全というかだな……」
 論旨がはっきりしない俺の釈明を君子は楽しそうに、双葉は不思議そうに眺めていた。
「と、とにかく、今日これからの行動をどうするか考えるべきじゃないのか?」
「ま、それもそうね」
 ひどくあっさりと引き下がった君子は食堂のテーブルにひじをついて俺にしゃべるよう
促すように視線を向けてくる。
「とりあえず、案は二つある」
「言ってごらんなさいよ」
「いえいえ」
「一つは警察に双葉を連れて行く。後は警察に任せるという方法だ」
 これは全うなやり方に違いない。なにしろ双葉はどういう理由かは知らないが偽者の両
親が現れるくらいだから、某かの狙われる立場にある事は間違いないのだ。
「もしかしたらおまえんとこみたいにお金持ちの家なのかもしれない」
「あたしんとこは普通の一般家庭よ」
 お前んちが一般家庭なら俺んちはどうなるんだ?
「まあ、どちらにしたって警察に引き渡すのは正攻法だと思う。もしかしたら双葉の家か
ら捜索願が出されているかもしれないしな」
「おお〜」
 と言いながら双葉は手を叩いたがどこまで理解しているのかわからない。
「もう一つは、俺達で双葉の両親または家族を探す。君子も見ている通り、昨日新宿の喫
茶店で俺達は双葉を見ていたわけだし、関係者っぽいやつらもいた。手がかりがゼロって
訳じゃないんだからな」
「おお〜!」
 と再び双葉は手を叩くものの君子は今一納得していないのか、立て肘の上に顔を置いた
ままフンと言った。
「なんだ、なんかおかしいこと言ったか?」
「おかしかないけど、よく考えてよね。警察はちょっとあてにならないわよ」
「なんで」
「だって、昨日のあの事件でしょ。もしあの事件が政治運動家たちのテロだったりしたら
、また人員がほとんどそっちに行っちゃってるわよ。失踪届けが出ていれば話は別だろう
けど、それだって生活安全課、刑事課、交通課、警備課総出で事件にかかりっきりになっ
てるだろうから、期待薄ってかんじじゃない?」
 お前は何故にそんなに警察機構に詳しい?
「それにあの喫茶店に行くのもちょっと危ないわね」
「そうか?」
「そうよ。よく考えなさいよね。あいつら明らかに革命家でしょ。政治運動のやつらよ。
だったらむしろ昨日双葉の両親ですって嘘ついて近づいて来たやつらの仲間だって考えた
ほうが自然じゃない」
 そういわれると確かにそうだな。
「おお〜!」
 双葉よ、手を叩いてないでお前も考えてくれ。お前のことなんだから。
「なあ、双葉。昼に喫茶店にいたあいつらって、なに者なんだ?」
「あー……」
 しばらく考えてから
「いぬかいだ!」
 と言った。犬養? 苗字だよなそれって。
「何している人なの?」
「ん〜……日本を変える仕事」
「やっぱり!」
 俺と君子の声が重なる。思っていた通り、やつらは政治運動をしている奴らだった。

「でもなんで双葉はそんなやつらと一緒にいたんだ?」
「ん〜……面白いもん見せてあげるからおいでって言われた」
 完璧な誘拐目的じゃないか。ちょっと待てよ。双葉が今話した内容は爆破に巻き込まれ
る前の記憶じゃないのか? もしかして……。
「おい、双葉。何か思い出してきたんじゃないのか?」
「ん?」
「何でもいい。両親の名前とか」
「ないない」
「じゃあ、家がどこにあったとか」
「ないない」
 ダメかあ。昨日と一緒だ。記憶が戻ってきたのも部分的ってことか。
 俺ががっくり項垂れていると、階段のほうからバタバタと駆け下りてくる音が聞こえる

「あれ、五郎……きみちゃ〜ん!」
 俺なんかさて置き、降りてきた二人は声をそろえて君子の元へ走ってくる。
「あら、おはよう御座います。お二人ともこれから学校ですか?」
 外面だけはいいのだ。俺にもその外面だけで接して欲しい。
「「はい!」」
 と声を合わせて答える二人は、ここから徒歩七分圏内にある高校に通う八幡光男と幸田
賢三。筋肉質の八幡さんは俺の一こ上の先輩。背がとりわけちっちゃいが機械工学マニア
の賢三は俺の一こ下。二人が通う学校は男子校なため、君子がきたりすると大はしゃぎな
のである。
 しかし、今日はいつもと違う事に二人は瞬時に気がついた。二人の視界に双葉が入る。
「こ、こ、こ、この娘は?」
 八幡先輩が口元を震わせながら指差す。
「双葉!」
 元気よく答える双葉に二人がはっきり、ときめいているのが手に取るようにわかる。困
ったものだ。この二人を見ていると、俺はそこまで惚れっぽい訳じゃないのではないかと
、救いのような気持ちになる。
「そうかあ、双葉ちゃんって言うのかあ。困ったなあ」
 君子と見比べながら何を困るというのだ賢三?
「ああ、困るし、憎たらしいな」
 なんですか八幡さん?
「潤いのある生活しやがって、お前は一度殴ってやらなきゃならないだろうな……」
「いや、交流電動機の中に組み込んで電流ながしてやりましょう」
「まてまて、二人とも落ち着いて。学校行かなくていいんですか?」
 二人は食堂の柱時計を見るとハッとして、大急ぎで玄関に向かって駆け出していった。
「おぼえてろよ〜!」
「次はボコボコにしてやる!」
 なんでか負けた悪役みたいな去り方をする二人。
「とりあえず、新宿まで出かけましょう。ここにいても始まらないわ」
 君子の言うとおりだ。俺達は支度をする。君子は昨日に引き続いて制服のまま。俺も普
段着なんて持ち合わせていないから学ランに袖を通す。
 昨日と違っていたのは双葉だ。
「んっもう、可愛いねぇ、双葉ちゃん!」
 と言って着せ替え人形のごとく双葉に服を与えたのは安延さんである。膝丈のブルーの
ワンピースに女の子用のフリルのついたシャツ。麦藁帽子をかぶせると外国の映画に出て
くるような美少女が出来上がっていた。
 いかん、いかんぞ。こんなことでうっかり惚れてしまってはいかんのだ。硬派な人間な
んかじゃなくってもいい。これ以上軟派なダメ人間にさえならなければそれでいい。だか
ら、収まれ、この俺の心よ!
「……ばか」
 俺の心など知らずに苦しむ姿を見て君子は一言そういうと玄関に向かっていく。
「ばかとは何事だ!」
 反論しながら君子を追う。
「なにごとだー!」
 意味をわかっていない双葉が楽しそうに復唱しながら後を追ってくる。外に出ると松岡
さんが後ろに手を組み昨日と同じ位置に立っていた。
「お譲」
「なに?」
「昨晩、怪しい男がウロウロしていやした」
「何者かわかる?」
「いえ、そこまでは。ただ、尾行、張り込みのプロである事は確かです」
 どういうことだ? 双葉を狙ってという事か? それとも警察? いやそんなはずはな
い。この寮には政治運動に加担している人間はいない。たぶんいない。いたら安延さんが
二言を言わさずたたき出すからだ。その辺は容赦ない。政治の事を考えるのは悪い事では
ないが、自分たちが政治に口出しするのは早すぎる、というのが安延さんの考えなのだ。
「まだ毛が生えたばっかの青二才が政治に口出ししようなんて、早すぎなのさ」
 そう言って館の卒業生が寮生を政治運動に引き込もうとやってきた時、安延さんは背負
い投げをかまして追い返してしまったのだ。寮生は政治運動家たちの無茶な暴動やテロ騒
ぎをテレビなどで見ていて、これの何処が政治運動だと、もううんざりしていたし、なに
より安延さんに追い出されて永久追放されるほうが、ずっと辛いので誰も加担するものは
いないのだ。
 そう考えると、この寮の中に警察から尾行を受けるようなものはいない。だとしたら、
あの双葉を狙っていたやつらなのかもしれない。
「あっしが立っているのを見て、すぐにどこかへ消えやした」
「どんなやつだった?」
「さあ、暗かったんではっきりはわかりませんが……」
 君子が俺のほうを見る。やはりあいつらなのだろうか。
「可能性がたかいな」
「どうする?」
「どうしようもないだろう」
 と話している隙に双葉が蝶々を追って外へ出て行こうとする。
「まてまてまて! まて双葉!」
「はーい」
 何でこうなるのかなあ。
「お前なあ、どこへ行く気だったんだ?」
「あれ」
「ああ、蝶々な、追っていたのか?」
「……蝶々? 蝶々って言うのか。そうかあ」
 と感心したように言う双葉。ちょっと待て、それくらい知っているだろう? 記憶がな
くなるって、そういった単語まで消えてしまうのだろうか。以前読んだ本には記憶喪失で
もしゃべり方とかまでは喪失しないと書いてあった気がする。ただ表層的な記憶だけが欠
落するという内容だった気がする。だとしたら双葉はどんな所で以前暮らしていたのだろ
うか? 蝶々なんてめったに見られない場所なのか?
「ところで松岡さん」
「はいなんでやんしょう」
 俺は声を細める。
「ずっとここにいたんですか?」
「へい」
 まじか?
「辛くないですか?」
「組……ゴホン、社長からの言いつけですんで」
 今、『組』って言った! 社長の前に『組』って言って、言い直した!
「さあ、車を出して。新宿へ行くわよ」
 君子は言い終えると車の後部座席の中へ消えていった。双葉は相変わらず無邪気にその
後を追い、俺は緊張しながら乗り込む。
「じゃ、じゃあ、おねがいいたします」
 俺がそういうと松岡さんは「へい」と江戸前言葉とはちょっとニュアンスの違う調子で
答えて車が滑り出す。
「ゴロー、あれ何?」
「花屋だよ」
「はなや……ゴローじゃあ、あれは?」
「あれ? おじいさんだよ。散歩してんだろ」
「おじいさん……さんぽ……じゃあゴロー!」
 真ん中に座った双葉は車窓の外が気になるらしく、終始俺の膝の上に手を突いて外の景
色を見ては、あれは何かと質問してくる。旅行に連れて行った三歳児のような反応だ。も
う実質俺の上に乗っかっているような状態で足は痺れるし重たいし、一刻も早く新宿につ
いて欲しい気持ちでいっぱいだった。
「お譲、どうしたんですか? 具合でも悪いんですか?」
 バックミラー越しに話しかける松岡さんが心配そうに聞くが君子と来たら
「うっさい! 早く新宿向かいなさいよ!」
 という具合。松岡さん、これは具合悪いんじゃなくて、機嫌が悪いだけですよ。時々君
子のやつは突然機嫌が悪くなるのだ。まあ、新宿に早く到着して欲しい、というとこだけ
は同意見。もう足が痛くてかなわない。
「ゴロー、あれなに?」
 ため息をつくしかないか……。
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